都心からは私鉄の急行で一時間ほど、駅からのバスは廃止されて自家用車しか移動手段がない、分譲に失敗して入居者もまばらなニュータウンからさらに山へと入っていった所に、その家族は暮らしていました。両親は山を適切な方法で管理し天然資源を生産しながら間伐、枝打ちなどを行い健全な森林を守り、先祖代々受け継いできた自然を次世代につなげていくための担い手として生活をしてはいたものの、木材資源の需要低下により経済面ではあまり恵まれていませんでした。
スティーリー・ダンとヴァン・ダイン好きな両親の間には、「グラマー・プロフェッション」のデモバージョンでもおなじみロジャー・ニコルズお手製のサンプラーにちなんで名付けられた男の子と、ヴァン・ダイン『ファイロ・ヴァンスの犯罪事件簿』に登場する犯罪の女王グレーテ・バイヤーから名付けられた女の子の二人兄妹がいました。
ある夜、ウェンデルがDTM作業に集中するためコーヒーを淹れにキッチンへ向かっていると、生活苦のあまりに両親が自分たちを森へ捨てにいこうとしている内緒話を耳にしてしまいます。すぐさまグレーテルを起こして相談しましたが、家にはもう売れるようなCDは残っていませんでしたし、経済状況を鑑みるにやむを得ないという結論に至りましたが、ウェンデルにはいい考えがありました。
明くる日は朝から突然、家族四人で森の奥へとピクニックへ行くことになりました。出かける前にウェンデルは自然の中のピースフルな雰囲気でレイブパーティーをしたいと両親に伝え、棚から十枚ほどCDを抜き出しブルートゥーススピーカーと一緒に持っていくことにしました。
県が整備している自然歩道ふれあいの道を途中からはずれて、藪漕ぎでルートファインディングをしつつ家族はハイキングを楽しみます。その傍ら、両親にバレないよう、ウェンデルは持ってきたCDケースのトレイ中心にある、CDを固定するための爪を折っては道に目印がわりに落としていきました。しばらくしてから確認のために振り返ってみると、木漏れ日で破片がキラキラと輝いているのが見えます。何度も振り返るウェンデルを不審がって、フェンスオブディフェンス好きの母が横山光輝のアニメ三国志のオープニング曲「ドント・ルック・バック」を歌い始めたので、ウェンデルはあやしまれないようそこからは振り返らず、引き続きこっそりとトレイの破片だけ落とし続けました。
ロングウォークの果てに森が突然開けて、見上げると木々によって空が丸く切り取られた、草原のような場所にたどり着きました。中心には大きくて白い岩があり、入唐八家の人たちが見たらすぐにでも開山してしまいそうなネイチャーフィーリング的にも優れている場所だったので、さっそくパーティが始まりました。最初は四つ打ちのハードハウスでしたが、ウェンデルが今年こそはアシッドジャズのリバイバルが来ると宣言してミックスをかけ始めたので、時間も忘れて家族四人は踊り狂いました。
両親がもっとハイになれるものを忘れてきたから家に取りに帰ってくると告げて、どこかに行ってしまっても兄妹はかまわずに踊り続けていましたが、ブラン・ニュー・ヘヴィーズの「ユー・アー・ザ・ユニヴァース」がかかると、あまりの懐かしさに千年紀末の狂騒など当時の思い出がまざまざと甦ってきて、溢れる涙をとどめることができなくなりました。そこで急にスピーカーのバッテリーが切れ、あたりに静寂が訪れました。これはよいチルタイムだとしばらくそのままでいましたが、ふと正気に戻ると両親がまだ戻ってきていないことに気がつきました。日はもう暮れてきていて、やはり昨夜の話は本当だったのかと悲しくなりましたが、生存への意欲をまだ失うわけにもいかず、周辺を探索してみるとわりと近いところで立派な建物を発見しました。屋根がひどく三角形にとがっているのでアルペンスポーツの居抜き物件のような雰囲気です。おそるおそる玄関のベルを鳴らしてみると温和そうな老人が現れ、事情を説明すると快く室内に招き入れてくれました。
家の中はどこもCDがいっぱいに詰まった棚ばかりで、ざっと吟味してまわったところ、ありとあらゆるジャンルのCDがあるようでした。老人が言うには、世の中の図書館がツタヤ系列に乗っ取られる前のどさくさに紛れて、処分される廃棄予定の図書館CDを根こそぎパクってくるやり方を全国で繰り返し行った結果とのことでした。老人に好きなCDをリッピングしていくと良いと言われ兄妹はたいへん喜び、何かあった時用に常に持ち歩いているリッピング用ノートPCを取り出して、気になるCDをかたっぱしから取り込み始めました。食事は老人の頼むウーバーイーツでついでに注文してもらい、寝る時間も忘れて取りつかれたように何日もぶっ続けでリッピングしていきました。
最初は良い人そうに見えた老人ですが、森の奥地に独りきりで生活しているような人間が正常な神経を持ち合わせているわけがなく、徐々にその本性をあらわしてきました。クラシック至上主義でポップスを下に見ていて、ピュアオーディオにこだわっているのに加齢で耳が劣化していてハイがほとんど聴き取れなくなっている典型的な老害であることがわかってからは、その所作が日に日に癪に障るようになり、ふたりは老人の相手をするのも面倒くさくなってきました。ある日、いよいよ老害ムーブに耐えかねた音大卒のグレーテルが、クラシック好きなのにアカデミックな音楽教育を受けていないという老人のコンプレックスをねちねちと刺激し始めたところ、一週間ほどで全身紫色になり、そのうち心臓発作で死んでしまいました。
その頃になると二人はもういい加減、家に戻りたくなっていたので、館内にあるレアなCDを根こそぎかき集めて館を後にすることにしました。パーティー会場だった霊験あらかたな岩のある広場に戻ってはきたものの、家のある方角は判別つきません。しかし、ただひとつの方向にだけ、鳥やリスなどの小動物の死骸が点々と転がっているのが見つかりました。ウェンデルがハイキング途中に撒いてきたCDケースの破片を誤飲した動物たちが狙い通り死んでくれたらしく、それをたどっていけば家に戻れそうでした。
帰宅の目処がついたところで、火を見るのをなによりの趣味としているグレーテルはいったん館へ戻り、風向きが自分たちに影響しなさそうなことを確認してから、手慣れた様子で館に火を放ちました。これで老人の死は隠滅できますし、だいたいめぼしいCDのリッピング終わり、レア盤は持ち出していたものの、その他のCDが他人の手に渡るくらいなら燃やしてしまった方が世の中のためです。あまり長居はできなかったものの館が火に包み込まれることを確認し、満ち足りた笑みを浮かべて、グレーテルは広場へと戻りました。
森の中に点々と転がる小動物の死骸を辿っていくと、兄妹は無事、家にたどり着きました。両親は、泰葉が豚肉を食べない宗教に改宗したことを知った時のように驚いた様子でしたが、さすがに心が痛んでいたらしく、その日は家族四人での再会を喜び、一晩泣き明かしました。
兄妹が持ち帰ってきたレアCDはオークションで複垢を使い価格を吊り上げたりして、バイヤーを自称するろくでもない糞どもを翻弄して売りさばき、大金を得ることに成功しました。あとはCDジャーナルのような多彩なレビューをネットの海に書き散らかして、幸せに過ごしましたとさ。
二〇二〇年一一月九日