明け透けな生活

ありとあらゆるものに病名が付けられていく中で、ついにコレクターにも収集癖ではなく「収集病」という名前がついて、立派な疾患として扱われるようになった。これは「断捨離」とかいう仏教用語に見せかけた、せいぜい十年くらいの歴史しかない造語に騙されて人生観を変えてしまう人間や、とある魔女により『片付けの魔法』をかけられてしまった人たちが爆発的に増えたせいで、物を持たないことが美徳とされる風潮が加速度的に高まったことによる。そして一般的な常識からかけはなれたコレクターという人たちは迫害される一方で、みつかれば積極的に薬を投与されて強制的にその病的傾向は矯正されていった。

自分は生まれつき物覚えが悪く、特に購入した本やCDのことをすぐに忘れてダブって買ってしまう性質があった。だから、森高千里の『TAIYO』初回盤を九枚も買ってしまっていたのはたまたまダブったせいでしかなかったのに、『TAIYO』はおとり捜査の対象でケースの中にGPSを仕込まれていたらしく、九枚も持っている人間は重篤じゅうとくな収集病患者とみなされて、ある日、自宅を出たところで急に捕まってそのまま施設につれていかれてしまった。

その後、様々な角度から詳細な検査が行われたけれど検査官の予想していた結果ではなかったようで、収集病患者にありがちな誇大妄想、完璧主義、優越感、悲観的な性格、肥大した自尊心、強迫観念などがなく、また一般的なコレクターとは違って正しく常識的な会話ができたし、とても楽観的な人間だったから、収集病の患者としては非常に特殊であるとの判断が下されて、収容施設の代表者からある取引が持ち掛けられた。

かつての万博ではアフリカ館などといって、人間そのものを現地の名産や風俗と共に展示するパビリオンがあった。研究だとか人類の知のために、企画者が考えたセットや行動様式に沿って選ばれた人が展示され、悪い言い方をすれば見世物にされていたわけだけれど、最近ではそれをさらに推し進めた形で、病的な資質を持つ人々を展示する施設が世界各地に作られるようになった。それは単純に教育として、あるいは想像することをしなくなった人類にとって常識の範囲外で起こりうる事柄を具体的な行動でもって知ってもらうため、または反面教師としてこうはならないようにという注意喚起だったりした。

今度、国内でそういった展示が行われる初の施設ができるとのことで、様々な種類の病的人間の展示のうち「収集病の患者」として協力してくれないかというものが収容施設の代表から提案された話だった。体のいい監禁には違いないけれど、施設にいるよりはいいし、なによりも展示されている間は日給が出るらしく、それは月で換算すると普通に働くよりもはるかに良い金額だったから、好奇心もあり、治験のバイトのノリで応じてみることにした。

 

 

さらに長い経過観察があって、いよいよ九段下にできた『国立人間博物館』なる建物へと移送されて自分に与えられた展示スペースは、ブックオフ吉祥寺店のCDコーナーを模した部屋で、天井付近まで棚があり二九〇円と五〇〇円のCDが詰まっていた。最上段のCDが見やすいよう、台も用意されている。

展示スペースに入ると部屋の周囲は全面鏡張りになっているように見えるけれど、これはマジックミラーで、正常とみなされている人間たちが外側から一方的に見るような造りになっていた。当初、試験的に展示を行っていた段階ではただのガラス張りだったらしいが、展示されている側があまりにも来館者をじろじろと見るものだから、すぐに変更されたとのことだった。人は一方的に見ることに対して優越感や快楽をおぼえるものだけれど、その対象から見返されることをひどく嫌う傾向があるらしい。

そういうわけで、室内からの景色はブックオフの棚を隅々まで吟味する男が写り続けているだけで、客の様子やその他の展示がどうなっているのかはわからない。世話をしてくれている係の人の話によれば、「ブックオフで過ごす収集病の人間」である自分の展示の隣には、「図書館でCDを探す人間」という似たような展示があるとのことだった。図書館ディグの人がどういった行動をしているのか、一度見てみたいものだとおもった。

 

 

展示され、晒しものにされる人間の暮らしはまず、朝の十時に棚を見ていくことから始まる。棚は基本的にあまり変化はないけれど、時々、内容が大幅に変わるようになっていて、施設の資金がたくさんあるのかとおもったりもしたけれど、もしかしたら隣の図書館展示の人のの棚と定期的にとっかえているだけかもしれなかった。

前日に抜いたCDをあまり詳しくおぼえていないので、谷村有美『プリズム』の初回クリアケースや熊谷幸子のファーストが棚にあると、つい手に取ってしまう。一応、洋楽コーナーも用意してあったけれど、邦楽のガールズポップにしか興味がなくそちらはあまり気にしていなくて、妙にジュリア・フォーダムが充実しているくらいしか把握していなかった。そしておそらく、自分に関係がある一部分にしか興味を持たない点については、収集病の傾向として外に解説があったり、音声ガイダンスで説明されたりするのだろう。

棚でみつけたCDのいくつかはカゴに入れておいて、キリのいいところでそのまま背後の扉からバック側の展示室へと移動する。こちらには自宅の部屋が再現されていて、ここで棚から抜いてきたCDをせっせとパソコンに取り込んでいく作業をする、そういう展示になっていた。取り込みが終わればまた表の展示室へ戻り、後は同じことを繰り返す。

ちなみにCDを取り込みつつ、その取り込んだ曲を聴いたりすることもできるけれど、人間博物館には「コレクターは物にのみ興味があって内容は気にしない」という考えがあるらしく、長時間聴きすぎていると罰として電気を流されてしまうので、気をつける必要があった。

博物館は夕方五時には閉館してしまい後は自由時間となるけれど、展示室から出ることはできず、あまりやることもないからいつも早めに寝てしまうことにしていた。寝ている間に係員がやってきて、自宅側に持ってきたCDやもともと棚にあったものなどをいくつか店舗側に戻したりあるいは適当にシャッフルしたりして、明くる朝にはまたイチから、比較的新鮮な気持ちで棚にのぞめるようになっていた。

しばらく展示室で過ごせば、どんなCDがあるのかだいたい把握してしまってさすがに飽きてはくるけれど、一日に課せられたノルマ分は作業をこなさないと、満足な食事がもらえなかった。必要な栄養素がすべて含まれているらしい、しけったおかきのようなものしか与えられないとはいえ空腹よりはマシだから、作業を粛々とやっているフリをする。

そもそもこの博物館での展示役がやけに日当が良かったのは、一方的に見られ続けることに耐えられなければならないハードな役割だからで、開館前の実験の結果によると多くの人はすぐに気が狂ったりしてしまったらしいけれど、自分は他人に興味が無いせいか、わりと正気を保ったまま元気に毎日を過ごせていた。

 

 

そんな展示生活にも慣れ始めてきたある日の閉館後、いつも世話をしてくれている係の人が部屋に入ってきたかとおもうと、その後ろから見慣れない、偉そうな男が続けて入ってきて

「おめでとう」

と、声をかけてきた。その高そうなスーツを着た男は続けてこう言った。

「収集病の人間をツガイで展示を行うという、先進的な試みに君が選ばれた。世界的に注目されている研究らしく私はうれしいよ。ああ、収集の興味範囲はかぶらないように配慮されているから安心していい。生殖行動、子育て、教育まで話が進むかもしれないが、君には期待している」

いつもの係員はなんだか困ったような顔をして、それを聞いている。

「なお展示の場所はここではなく、南アフリカにある『南アフリカ共和国国立アフリカ大陸民族博物資料館』に決まったので、今週末にはそちらへ行ってもらうことになる」

「そうですか」

こちら側の同意はあまり必要としていないような感じで、引き続き移転の話が進んでいったけれど、南アフリカの施設での展示の日当はこれまでのものとは額の桁がひとつ違っていたから、一生分を稼ぐチャンスかもしれないと考えた。それに南アフリカのCD屋の展示はどんなものなのだろうかという期待が無いといえば嘘になる。収集病のツガイの相手がどんな人なのか、そもそも人種すらもわからないけれど、まあそれは行けばなんとかなるかと、深く考えないことにした。

それよりも自分には、南アフリカがどんなところなのか、言語はなんなのかという基本的な知識すらなかった。ひとつだけ知っている事があるとすれば、むかし聴いていたジュリア・フォーダムの曲に南アフリカという単語が出てくることぐらいだったから、電気を流されない程度に聴いて確認してみようと、普段は近づきもしない洋楽コーナーで棚からファーストアルバムを抜き出して、自室を模した展示のパソコンへと向かった。

二〇二〇年一二月二五日