埼玉の人間は皆、「丸広百貨店があるところは栄えている」という判断基準を持っている。その価値観からいえば栄えていない、埼玉のとある田舎を歩いているときに淀んだ池のほとりで稲荷神社を見つけた。
神社には由来や祭神などを記した看板が設置されていることが多く、その稲荷神社にも拝殿の脇に、金属製の立派なものがあった。周りを木々に囲まれていて昼間なのに薄暗く、おかげで涼しい風が吹き抜ける稲荷神社で休憩ついでに看板を読んでみたところ、その内容は衝撃的だった。
安政六年に、この稲荷山に倉林、稲葉、両一家で、このお稲荷様を祀った。
大変な御利益のある強い神様であられる。
このお稲荷様を永遠に守っていくための心得を記す。
・このお稲荷様は断じて動かしてはならない。又むきも変えてはならない。
上を動かしても、神様は土の中にいられるのでそのまま残ってしまわれる。
・もし位置を変えたなら、最初はめまい、耳なりなど軽い障りを出される。
いくら障りを出しても気が付かないと、だんだん強い障りを出される。
・動かした人、命令を下した人、持主の血のつながっている人達、
子子孫々に至る全部の人達がこの世から絶える事となる。
又、お稲荷様は食の神様であられるので、お供物を、おあげする事。
一日、十五日は、お米、お塩をとり替え、御飯、お水は毎日おあげする。
油揚は、好物であられるので、良くおあげすると良い。
又、その日造ったお惣菜をおわけしておあげすると良い。
・以上の事を守って大切に大切に接していった場合は、入試、就職、結婚、
孫の誕生、健康、家庭円満にと、はてしない幸福が永遠に続く事となる。
薄寒く感じるのは冷や汗だけではない気がしてきて、うっかり立ち寄ってしまったことを後悔した。稲荷神社のある森から出る際には、あたりの人に見られていないことを注意深く確認して、すみやかにその場所から離れた。それにしても、神様が土の中にいるという表現は後にも先にもこの看板でしか目にしたことがない。
峠や田舎を歩いていると、ひときわ大きな杉の木やむき出しの岩に、しめ縄が巻かれていたりする。そもそも神社の成立として、特徴的な岩や木のような何かご利益の有りそうな自然物を祀り、あとから祭事などを行いやすくするために拝殿など社を建てていくようなノリが感じられるので、古くから存在している神社だと自然のものがそのまま御神体になっていることがある。たとえば奈良の大神神社は三輪山を、御柱祭で有名な長野の諏訪大社はざっくり自然そのものを御神体としている。
旅行していて見つけた変わった御神体といえば、香川県の田村神社の『深淵』というものがある。深淵とは直径数メートルの深い穴らしく、その上には奥殿があり厳重に施錠されていて誰も入れないようになっている。言い伝えでは、この深淵をのぞき込むと必ず死ぬといわれていて、一種の禁足地のようになっている。
千葉県の本八幡にも『八幡の藪知らず』という禁足地がある。JR本八幡駅から歩いて五分、国道十四号線に面したところには不知森神社があり、その奥の囲いの内側が『八幡の藪知らず』となっている。木々や竹が生い茂っていて、敷地はだいたいブックオフ大阪難波中店ほどの広さしかないけれど、中に入ると二度と出てこれなくなるという言い伝えがあった。自分は禁忌を犯すことにあまり興味はなく中に入ってみようという気にもならないけれど、本八幡出身で子供のころに入ったことがあるという人物に、その時の話を聞いたことがあった。
その人は友人と一緒にふたりで、夜にこっそりとその『八幡の藪知らず』に忍び込んだという。中に入った瞬間、不思議とまわりから音が消えたような感じになり、奥行きはそれほどでもないはずなのに、いくら進んでも突き当たりにたどり着けず、また元の場所に戻ろうとしてもずっと藪の中をぐるぐる歩いているようで、外にでられなくなってしまったらしい。登山には方向感覚を失って円を描くように同じ場所をさまよってしまうリングワンデルングという言葉があるけれど、まさにそんな状態だった。
しばらく途方にくれていたところ、遠くの方からなにか音が聴こえてくるのに友人が気がついた。おそるおそるその音が聴こえてくる方向に近づき木々に隠れて様子をうかがってみると、広場のようにやや開けた場所の中心で、見ようによっては踊りといえるかもしれない畏怖さえおぼえる奇妙な所作で、忌まわしいばかりの音色を響かせながら、一心不乱にギターを弾いている後ろ姿が見えたという。その狂ったアラン・ホールズワースのような人物は、ソフト・マシーンの最高傑作『収束』の一曲目「予期せぬ出来事パート1」のリフを延々と、あまり人間らしさを感じない、狂気に満ちた様子で繰り返し弾き続けていた。
単調ながらも得もいわれぬ高揚感に包まれるその冒涜的なリフに心奪われていると、その人はだんだんと自分という存在がありとあらゆるものを包み込むこの藪にあまねく浸透していくようで、いつしか魅了されていたのか正気を失い、無心でリフを聴き続けていたらしい。あとで時計を見たところ、一時間ほどはそのままの状態だったようだ。
いつ終わるとも知れない唾棄すべき狂乱のリピートはドラムブレイクでふいに終わり、リフが一瞬途切れたところでその人は幸運にも正気に戻れた。次の展開ではそのままソロになだれ込みそうだったけれど、アラン・ホールズワースのようなあの大きな手による独特なボイシングで奏でられるギターソロを聞いてしまったら最期、二度と生きては外に出られなくなるような気がして、逃げ出そうとあわてて踵を返したその時、ペダルを踏みかえていたその狂人がふいにこちらを振り向いた。
目にしたものは本当に驚くべきことなのだが、なんとそのギターにはヘッドがなかった。あまりの恐ろしさにその人は絶叫し、一心不乱に駆けだした。
絶叫を聞き友人も正気に戻ったようだったが、動き出すのが一瞬遅れて、その場所に取り残されてしまった。恐怖でそこからは記憶がなく、どこをどう走ったのかわからないけれど、気がつくとその人は藪の外に出ていた。もうギターのリフは聴こえなくなっていたが友人はおらず、どうやら藪の中に取り残されてしまったようだった。
そこからは家族や警察を呼んで大騒ぎになった。その人は命からがら逃げ帰った記憶がよみがえってしまうのか、それ以来、ヘッドレスギターを目にするたびに恐怖を覚えるようになったのだという。
残念なことに取り残されてしまった友人は後日、変わり果てた姿(ジョン・エサリッジ)で発見され、アラン・ホールズワースの後釜としてソフト・マシーンに加入することになり、これが名作『ソフツ』に繋がることになるのだけれど、それはまた別のお話。
二〇二〇年三月二一日