月曜日に戻ってこないでください

自宅に暗室を作りたくて立川市の外れの団地に住んでいた頃、ある肌寒い休日の朝にトイレをすませて部屋へ戻ると、「ホーホー、ホッホー」という鳴き声が窓のすぐそばから聞こえてきた。通っていた小学校が廃校になってしまうような田舎にある実家でも聞いたことのある鳴き声で、これは昔からフクロウのものだろうとおもっていた。団地の近くには玉川上水があって緑も多いし、多摩モノレールの終点から先はもう森だから、フクロウがいてもおかしくはないなとカーテンを開けてみたところ、そこには茶色い鳩がいた。

すぐにグーグルで「茶色 鳩」で検索してみて、そこで初めてキジバトのことを知った。公園や浅草寺でエサのおこぼれをもらおうと常に群れているドバトの野郎どもとは訳が違って、キジバトは群れることがないらしく、またドバトのような妙に脂ぎった汚らしい灰色でもなく、シュッとしていてかっこいい。

急に人間と鉢合わせになって、キジバトは驚いたのか鳴きやんでしまったけれど、逃げる様子はなく、しばらくカーテンをしめて放っておくと、また「ホーホー、ホッホー」と鳴きはじめた。ちょうど『ソロモンの指環』を持っていたのでキジバトの声に耳を傾けてみると、「やった、弘田三枝子の『MIKO LIVE』が再発された」と興奮しているように聞こえきたので、窓を開けて、『MIKO LIVE』のオリジナル盤でばさばさと扇ぎ、追い払ってしまった。キジバトはそれっきり、うちの周辺に現れることはなかった。

 

団地の隣の住人は、階段で五階までのぼってこれなくなってよそに引っ越した老人らしく、ずっと空き家のままだったからベランダにはドバトが巣を作ってしまっていた。人の部屋のベランダに侵入して追い払うわけにもいかず、ドバトは隣のベランダを糞まみれにしていたけれど、そのうち、つがいのドバトがこちらのベランダにも来るようになった。ドバトの夫婦は気を抜くと室外機のすきまに巣を作ろうとするから、藁や草を運んできたのを見かけたり、ベランダから鳩の鳴き声が聞こえたりするとすぐに追い払っていた。しかし、忙しくなってしばらく家を開けることが続き、ドバトのことを忘れていたら、ある夜、ベランダからクルックーではなくピーピーという鳴き声が聞こえてきた。

ガラス扉をがらがらと開けると、ハトは急いで屋根の上へと逃げていく。室外機ではなく、台風対策で寝かせたままになっていた網戸のすきまにいつの間にか立派な巣ができていて、何かが動いている気配があった。ライトを持ち出してきて照らしてみると、小さなハトが二匹、じっと動かずに隅でかたまっている。つがいが生んだ卵がいつの間にか孵っていたようで、二匹の子は小さくて当然まだ飛ぶことはできず、初めて見る人間におびえているのか、デッキブラシでつっついてみても微動だにしなかった。親ハトはどこか見えないところへ逃げたままだけれど、だからといって子供を殺してしまうわけにもいかず、仕方なく見逃してやることにした。

日中は出勤して働いているから昼間の様子はわからないけれど、夜に帰宅してきてベランダを確認してみると、親は急いで屋根に逃げて、子供のハトはじっと隅で動かなくなる。休日にこっそりベランダを伺うと、わりと自由にベランダを走り回っていたりするけれど、隠れて観察している自分と目が合うと、あっという間に子供たちはベランダのすみっこに逃げ去ってしまう。ハトがいつ寝ているのか知ったことではないけれど、夜中もクルックーとうるさいのを我慢して過ごしていると、子供たちはみるみるうちに大きく成長して、すぐに親たちと大差ないサイズになった。

大人っぽくなった子供のハトは羽ばたいたりするようになって、そのうちにベランダの手すりまで飛び上がって歩き回るようになった。まだ巣立ちまではいかないようだけれど飛ぶ練習をしている様子はあって、こうなるとドバトとはいえもう他人の感じはせず、我が子とはいかないまでも、遠い親戚の子を見守っているような気持ちになってきた。

はとこの二羽はある天気のいい土曜日に、ばたばたっという音が聞こえたかとおもうとしばらく円を描くようにあたりを旋回してから、どこかへと飛び去っていった。無事に巣立ちしてくれたらしく、糞まみれになったひどい有様のベランダをようやくきれいに掃除できた。

ハトが巣立っていってからはまた元の平穏な日々が戻ってきたけれど、しばらくしてふと気づくと、きれいに掃除しておいたはずの室外機の上に草などで巣が作られていて、若いドバトがびっくりしたようにこちらを見ているところに遭遇した。どうも巣立っていったはとこのどちらかが早くも帰ってきて、子作りを始めようとしているらしかった。

はとこは六親等ではあるけれどその子となるともう親族ではないので、さすがに家のベランダを貸す情けをかけるわけにもいかない。さっさと追い払ってしまって、すぐに鳥よけネットを買い、ベランダに入ってこれないように設置した。

ネットを張ってからあらためて、ベランダを掃除しなおして新しい巣を片付けていると、中から卵が二つみつかった。青みがかったきれいな白色の卵で、おそらくは有精卵のようだった。オーストリアの動物行動学者、コンラート・ローレンツが著書『ソロモンの指環』で紹介したインプリンティングを利用して、孵ったハトを使役しようかと考えてはみたものの、仕事に行く時や旅行中までハトと一緒にいるための方法が思いつかず、未来のピジョンが見えなかったのでその卵はゴミに出して、ドバトともそれっきりになった。

二〇二〇年一一月二四日