その駅のホームは島式で、周囲には住宅があるから田舎ではなさそうだった。ホームの端っこにいるらしく、すぐそこに踏切が見える。
踏切と家々の向こうには巨大な観音像が立っている。ずいぶん離れているようにおもえるけれど、あまりに大きいから、その立像を見上げていくと視界はその像と空だけになった。
観音像は青みがかった色をしている。何の金属で作られているのかはわからないけれど、こんなに巨大な立像が倒れずにいられるのかとおもった。
「あれが倒れてきたら大変だな」
「こっちに倒れてきたら直撃するかもしれない」
その像を大学時代の古い友人とはるばる見上げている。
「いつからあんな像が立っていたっけ?」
「大昔だよ、今の人はこんな巨像を作ったりはしないよ」
向こうが結婚したとかで、すっかり疎遠になってしまった友人と話しているうちに、だんだんとおかしな気持ちになってきた。
その違和感の正体はすぐにわかった。見つめる視線の先で、友人と自分が話をしている。こちらからは後ろ姿でしかないけれど、自分を見間違えるわけはない。
二人はいつまでも巨像を見上げながら、話を続けている。そこに自分の姿があるということは、この視点の主は一体誰なのだろう。視界の地面はずいぶん近い位置にあって、ホームの床に仰向けになっているようだった。
友人と自分の話は途切れることなく続いているけれど、願わくばこちらを振り向いたりしないようにと祈った。
その時、踏切が鳴り出した。しばらく待っても、正面から列車の影はない。目の前にいる二人がぱっと背後を振り返る。友人の横にいる人物の顔はやはり自分だった。
二人はホーム後方からやってくる列車がないか確認している様子だけれど、いつまで経っても列車はこなくて、踏切の音だけが単調に響いている。線路の先を見つめるその視線がいつ床に落ちるかわからず、こちらと目があってしまうのが心配で恐ろしかった。
二〇二二年一月七日