狩猟
茂みにじっと息をひそめていると、草いきれでじりじりと汗ばんでくる。見つからないようにできるだけ頭を低くし、這うようにしてハルニレの木のうしろに身を隠した。
そっと様子をうかがうと、木々のむこうに大きなプラスチックケースが、木漏れ日にきらめいている。どうやら伊藤由奈『ハート』の通常盤のようだ。『ハート』は見上げるほど大きな身体をゆさゆさと揺らしながら、木の根本のなにかを掘り起こそうとしているようだった。CDが木々に残す痕跡をたどるようにして風上から用心深く近づいたので、幸いにもまだこちらの存在に気づかれてはいない。伏せたままハルニレの幹から半身を出し、息を整え、ライフルを構える。森の中に大きな音が響きわたるとCDケースが一瞬震えて、プラスチックの割れる音に続き、記録層のアルミニウム蒸着膜がきらきらと鱗粉のように舞った。
『ハート』はまるで巨大な鳥が羽根をはばたかせるかのように飛び跳ねながらばたばたと暴れまわり、あたりを威嚇するように44キロヘルツ/16ビットの咆哮を上げている。ミズナラの木にはげしく何度も体を打ちつけて、苦しんでいるようだった。
自分はなおも息を殺してその場を動かない。手負いのCDほど危険なものはないからだ。それにしてもいままでに見たどんな『ハート』よりも大きくて立派な身体をしている。残念なことに急所を外してしまったようだから、隙をみてもう一、二発は弾を撃ちこまなくてはならない。あまり傷をつけすぎると売り物にならなくなるけれど、仕留めるためにはやむを得ない。
額に流れる汗をぬぐい、もう一度、冷静に狙いを定めて引き金をひいた。クリアケースの破片がぱっと飛び散り、ソニーのPCM‐3324で録音してPCM‐1610でトラックダウンされたひときわ大きな断末魔の叫び声をあげ『ハート』はどうっと地面に倒れこんだ。
少し距離をおき、様子をうかがいつつおそるおそる近づいてみると、ケースを開いたまま埃と木の葉にまみれて横たわる巨体から、波が引いていくように痙攣は小さくなっていき、押しつぶされた草や葉が赤く染まっていく。少し離れたところにはケースの中に入っていたとおもわれる帯が落ちていた。
こんなに大きな『ハート』をモノにしたことはなかったから、このあとの処理をはたしてひとりで行うことができるのか不安になってきた。できるだけすばやく血抜きをするために、しかるべき箇所を切り、木につるしておかなくてはいけない。どうしたものかと立ちつくしていると、銃声で静まり返っていた森に鳥たちの囀りが次第に戻ってきた。
処理をしたCDを後日ブックオフに持ちこんだところ、買取価格は十円だった。
ブックオフの魔女
ブックオフで買った山形由美『ネオクラシック』の値札シールを剥がさずほったらかしにしておいたばかりに、ブックオフの魔女に呪いをかけられ中古CDに姿を変えられてしまった。
幼い頃に祖母から「ブックオフの値札はすぐに剥がさないと悪い魔女が来る」と、口うるさく言いつけられていたのに、まさかそれが本当に起こり得る出来事だとは考えもしていなかった。ちょうど同じ時期に祖父からは「女はイクと肌が紫色になる」と教えられていて、これが嘘だとわからず長いこと騙されていて大人になってから痛い目にあった経験があり、魔女の件も同じ類の話だろうと甘くみてしまっていた。
そういうわけで無機質なプラスチックケースに変身させられてしまい、魔女によってブックオフへ売り飛ばされてしまった自分にわかったことといえば
・買い取り価格が十円だったこと
・CDケース上部に貼る特徴的な値段シールや店内の棚の配置からおそらくは町田中央通り店に買い取られたであろうこと
・町田中央通り店だとすると、挿し込まれた棚の向かいが通常料金の洋楽コーナーだったからたぶん邦楽の五〇〇円棚で、あまり価値のないCDだろうということ
以上の三点ぐらいだった。自分がいったいなんのCDに変えられてしまったのかはまったく知る由もなかった。魔女の話によれば、この呪いは誰かに買ってもらうまでは解けないとのことだったから、自分にできることはというと、この価値のないであろうCDを買ってくれる奇特な人を待つだけしかなかった。
ぎゅうぎゅうに詰めこまれた棚で何日かを過ごすと、周りから杏里や今井美樹が抜かれていくのをよく目にすることに気がついた。おそらく「あ」や「い」のところに置いてあるようなCDなのだろう。自分はもしかしたらシングライクトーキングの『エンカウンター』で、間違えて「え」のところに置かれている可能性もないわけではないし、ひょっとしたら伊藤由奈の『ハート』であるかもしれない。しかしいくら考えてみたところで自らの姿を見ることはできないから、これ以上わかることはなにもなかった。
しばらくすると壁際の棚に移動させられた。そこは元々いた邦楽五〇〇円棚を横から見る位置にある。おそらくは売れないと判断され、五〇〇円から二五〇円棚に移動させられたのだろう。これで少しは買う人間が現れてくれるかもしれないと期待したけれど、安くなったにもかかわらずその後もずっと、手に取られることすらなかった。
天井の蛍光灯がついては消え、空調が暖房から冷房にかわり、また暖房に戻ってを何度も何度も繰り返した。幾度となく虚無感に襲われ、心の真ん中がからっぽになるような感覚におちいることがあったけれど、これはたぶんCDに変えられてしまったせいで、CDの真ん中には穴が開いているから当たり前なのかもしれないと自分を納得させてじっと我慢を続けた。
そんなある日、汗ばんだ手につかまれたかとおもった次の瞬間、信じられないことに棚から引っ張り出されて、他にも同じ棚から抜いであろう安いCDたちにはさまれレジへと連れていかれた。あまりに急な出来事で動転したけれど、すこし遅れて、ようやく呪いが解けて人間に戻れるのだという喜びがやってきた。高揚して会計を待ったが、その買い主はずいぶんと用心深いらしく、レジを打つ前にケースの中身確認をしていくようだった。いちいち二五〇円で中身確認するなよという店員の圧を気に留める様子もなく、その男はひとつひとつケースを開きCDの状態だけでなく歌詞カードまでくまなくチェックしていった。
そして、いよいよ自分の番になった。すっとケースを開けて買い主が「あ」とすっとんきょうな声を上げて、オタク特有の甲高い声で、早口でまくしたてるように店員に言った。
「この石嶺聡子、中のCDが野田幹子だよ」
自分はレジ袋に入れてもらえず、すいませんと事務的な返事をした店員はレジ下にあるスペースに自分を隠すように押しこんだ。あまりに急な絶望に叫び声をあげようにも、CDの自分には声を出せるはずもなかった。
会計を終えて、そのアルバイトの店員は面倒くさいのだろう、中身の正しいCDを探して元の状態に戻そうとする努力もせず、信じられないことに、まるで何もなかったかのように自分を二五〇円棚に戻したのだった。そしてふたたび、棚からの景色を眺めるだけの日々が戻ってきた。
それから数年、少し値上がりして二九〇円になった棚で、この呪いを解いてくれる人をいまも待ち続けている。
にゅうえいじ古事記
アマツカミが「なんか最近ニューエイジきてるっぽいからワンチャン」などと盛り上がり、イザナギとイザナミは天の沼矛を受けとって国生みをすることになった。
天の浮橋からふたりで矛でもって海をかきまわすと、なにやらかたい手ごたえがある。引き上げてみると矛にはエンヤの『ウォーターマーク』が突き刺さっていて、たちまちあたりにローランドD‐50のプリセット四十四番「Pizzagogo」が響き渡り、LA音源の瑞々しいアタック音が凝り固まって島になった。これをオノコロ島という。オノコロとは「オリノコ・フロウ」がなまったもので、淡路島の南に浮かぶ沼島がこのオノコロ島だという説がある。
二神はオノコロ島にケルティックなエレガンスさでもって降り立ち、巨大な駐車場もそなえた郊外型の、ブックオフスーパーバザールを建てた。また、天の御柱をいったん立てたあと、それを横にTAOして大きな買い取りカウンターを作った。
まずはイザナミが客としてディープ・フォレストの『アフリカン・コーリング』を持ちこみ、
「買い取りをおねがいします」
と査定を依頼した。全体的にとても状態が良くて帯もついていたので、イザナギは五〇〇円で買い取ったところ、蛭子が生まれた。何重にもかさねたビニール袋に入れた蛭子はいったん押入れの天袋に隠しておき、人の寝静まった深夜にこそこそと出かけて、群れなすイルカのクリック音に乗せて海に流した蛭子がいまの淡路島になった。
どうして正常な子が生まれてこなかったのか、アメリカの人類学者ジョージ・マードックが提唱した核家族という概念も崩れ去ってしまった現代で、親身になって相談に乗ってくれる相手はふたりにはいなかった。悩んだ末に太占でうらなってみたところ、ただ単にCDの買い取り価格が高すぎただけだということがわかった。
極上の波打ち際サウンドを聴きながら、気を取り直して今度は反対にイザナギが客となり、チャック・グリーンバーグの『フロム・ア・ブルー・プラネット』を持ってきて、
「査定おねがいします」
と声をかけた。イザナミはざっくり一目しただけで「十円ですね」と返答したことで無事、安値での買い取りが行われて五体正常な子が生まれてきた。これが現在の本州になった。この後も胎教のCDだとか岡野弘幹『リターン・トゥー・ザ・ソウル』だとか、よくわからないものが大量に持ち込まれたけれど、とりあえず全部十円で査定していってその他の島々ができあがった。
のちにイザナミはヨモツヘグリ名義でソロ活動をはじめて、アングラドローンシーンを席捲していくことになるのだけれど、それはまた別のお話。
結婚生活
出張買取トラックがやってきて妻を連れていってしまった。あまりに急なことでびっくりしてしまい、なにもすることができなかった。気を落ち着けて、最寄りのブックオフになにか手がかりがないだろうかと訪れてみると、妻はそこで普通に働いていた。なんだ、と安心してその日は帰宅した。
ブックオフで働き始めてから妻は前よりも明るくなったようだった。そして自分は今日も他人のふりをして、妻の働くブックオフへ行く。
「いらっしゃいませ、買い取りですね」
小池一夫や藤子・F・不二雄全集などこつこつ集めてきたマンガを全部買い取ってもらう。
「ありがとうございました」
まぶしい笑顔に見送られて店を後にする。明くる日もブックオフへ行く。
「いらっしゃいませ」
今日は大量のECMのCDを持ち込んで買取をしてもらった。それから、ミンガスのヨーロッパツアーの数々のブート音源も査定ゼロ円だったけれど売ってしまった。
「ありがとうございました」
妻はどうやら妊娠しているらしいことがわかった。生まれてくる子供のためにも、もっといろいろなものを売ってお金をつくらなければいけない。
「いらっしゃいませ」
今日は大量の本を苦労して持ち込んだ。ガルシア・マルケスもコクトーもラブクラフト全集もボリス・ヴィアンも稲垣足穂も、澁澤龍彥も少しもったいなかったけれど売ってしまった。もし、また必要になったら買い戻せばいいだけだ。
「ありがとうございました」
ようやくあれこれが片付いて部屋がひとつ空いた。これで子供部屋の心配はしなくていい。広々とした部屋をながめていると、物に固執しすぎていた自分が恥ずかしくなった。
次の日にブックオフに行くとシャッターが閉められたままだった。なんの前触れもなく閉店してしまったらしい。妻はどうなったのだろう。
その次の日にはもう看板がはずされていた。そしてそれっきり妻とは会えなくなってしまった。
笠地蔵
年越しにむけてどうしてもお金が必要になり、背に腹はかえられず、CDを売ろうと棚から何枚か抜き出してブックオフにむかうことにした。年末年始でブックオフの閉店時間がいつもより早いことに気がついたのは夕方のだいぶ遅い時間帯で、あわてて家を飛び出たものの査定の時間を考えると最寄りの隣町のブックオフまでかなり急がないと間に合わなさそうだった。
外は天気予報のとおりに雪が降り始めていたが積もるほどではなく、すぐにやんでしまいそうだった。車に乗りカーナビでルートを検索すると、いままで一度も見たことがないルートが提示された。それは山の中にある旧道を突っ切っているようで、長年このあたりに住んでいてもまったく知らないような道だったけれど、このルートを使うと考えていたよりもかなり早くブックオフにたどり着けるようで、到着予想時刻はブックオフの閉店までだいぶ余裕のある時間が表示されていた。
山道になるかもしれず心配になりはしたものの、カーナビの案内だからさすがに大丈夫だろうと信用して、ワゴンRを走らせはじめた。時間帯的にやや混んできたバイパスを途中で折れて、見知らぬ三桁県道を山のほうへと入っていくとそのうち民家もなくなってきて、街中ではそれほどでもなかった雪は山に入ると急にボタ雪にかわり、未舗装の道路を白く染めている箇所が増えてきた。道幅はせまくて車一台分しかなく、対向車が来るとすれ違うのに苦労しそうだったが、自分以外の車が通りそうな気配はなかった。
雪は降っても積もることはまれな土地だったので普段から冬でもノーマルタイヤのままだったから、窓の外が本格的な雪景色になるにつれて不安になってきた。きつい登りを何度も折り返してのぼっていったが、峠とおもわれる付近は木々がなく開けているせいか一層雪が積もっていてとうとうタイヤがスリップし始めて、これ以上は危険で進むことができなくなった。
どうしたものかと途方に暮れてふと外の様子をうかがうと、六体の地蔵が並んでいるのが目に入った。六地蔵は野ざらしで、頭にはずいぶんと雪が積もっている。ここで蓑笠でも持っていればまるで昔話の笠地蔵のようになるのだけれど、超消費社会となってしまった現代では、機械化が可能な工業製品ではない日用品はすべからく淘汰され宗教用かコスプレ用途としてのみかろうじて存在しているに過ぎない。地蔵に蓑笠を被せるという所作はまさに宗教的で、これはすなわち仮面を着けるという行為に他ならず、常世から決められた日に仮面を着けてやってくる来訪神つまりはコカイン中毒時代の折口信夫が言及するところの「まれびと」へと地蔵を変貌せしめる行為であった。
蓑笠を持ち合わせていない自分にできることといえば、良い音楽を聴いてもらって、それで温まってもらうことぐらいだったから、ブックオフへ売るために持ち出してきたCDをお供えしていくことにした。車外に出るとしんしんと降り続く雪であたりはとても静かで、この世には自分と地蔵しか存在していないかのようだった。
一体目の地蔵の前にはクリフォード・ジョーダンの最初のソロを置いた。次は甲斐恵美子のリリカルなピアノを堪能できる『エメラルドシティ』を、その次の体の右腹辺りに銃で撃たれたようなあとが残る地蔵にはミシェル・ペトルチアーニ最後のトリオでのライブ盤『トリオ・イン・トーキョー』を、胸に二箇所、太ももと腕に一つずつ弾痕がある地蔵にはチャールズ・ミンガスの『レット・マイ・チルドレン・ヒア・ミュージック』を捧げて、五体目にはスティーヴ・キューン『トランス』をそれぞれお供えした。
持ち出していたCDは五枚だけで、六体目の地蔵への供物がなく困っていたら、いいことを思いついた。ちょうど着ていたオーバーサイズのパーカーを脱ぎ、地蔵に着せて深々とフードをかぶせると地蔵は超イルなかんじになった。蓑笠のかわりにフードが仮面としての役割を果たしていて、民俗学的にも非常に満足した気持ちになったから、売るべきCDもなくなったことだしと引き返すことにした。雪道で危ないところはあったものの、なんとか無事に帰宅することができた。
その日の夜半過ぎのこと、夜更かしをしていると突然、真夜中にもかかわらず馬鹿でかい音でヒップホップを流している車が来たとおもったら、家の前に急ブレーキをかけて止まり、次の瞬間、がんがんと何かとても重いものを投げ下ろしているような音が聴こえきた。どこの近所迷惑野郎だとあわてて玄関を飛び出すと、リアウィンドウに「デー・アー・デー」のステッカーを貼ったヴェルファイアがウーファーガン積みの重低音を響かせながら走り去っていくのが見えた。おしゃれなブルーライトがついた車内では六体の石の塊がビートに乗って揺れ動いていて、クルーたちは六道を廻るパーティーへと出かけるらしかった。
現世に置いていかれた自分には大きな段ボールが六箱残された。それぞれの箱は持ち上げるのにも一苦労な重さで、地蔵からのお返しはなんだろうと、わくわくしながらその場で中身を確認してみると、どの箱にもミスチルのCDがぎっしりと詰まっていた。あまりにも大量だったから困惑しつつも、これらを売ってしまえば多少の金にはなるかとおもいはしたものの、よくよく確認してみるとほとんどが安物の家庭用プリンターで歌詞カードを印刷したCDRばかりで、ただのゴミの山にしかすぎなかった。
連続テレビ小説『とれはろーす』第三話 ジャケ買い
あらすじ
東京から岡山に疎開してきた達郎は、疎開先の全盲の令嬢、洋子とは反りが合わず毎日喧嘩が絶えない。ある日ラジオで聴いた「ジャケ買い」という言葉に洋子は興味を持ち、都会育ちの達郎を誘いブックオフに行くが――
達郎が疎開している水飴工場からだとブックオフは駅の反対側になる。社長令嬢の洋子は箱入り娘だからほんの少しの外出にも車を使い、あまり外を歩くようなことはしなかった。しかしこの日はたまたま車が出払っていて、また、娘に外の世界の出来事を経験させてやりたいという両親の願いを拒否できるわけもなく、突然、世話をしなくてはならなくなった達郎は気が重かった。
昼時ということもあり、岡山駅前の行き交う人々を避けて、目の見えない洋子を連れ歩くのは一苦労だった。雲ひとつないからっとした天気でずいぶんと埃っぽく、どこか都会から疎開してきたのか大きな荷物を抱えた子供が心配そうに、まだ来ない誰かを待っている。
目的のブックオフは駅前の大通りを渡ってすぐのところにあった。達郎はこのご時勢によく中古屋が営業できているなともおもったけれど、金属製品の多い家電コーナーはのきなみ接収されたらしく、CDや本だけで営業しているようだった。通りに面したところにある大きな看板は、ブックオフの文字が塗りつぶされて、上から「富国」と書き直されている。
「階段が三段あります」
「はいはい」
必死に達郎の腕をつかんでブックオフ前の階段をのぼる洋子は、久しぶりの外出だからなのかとても楽しそうだった。入店すると、店員がこちらを向き、「いらっしいませ」とそろって大きな声で挨拶をしてきた。
「お母様にゆうて店長さんに連絡してもろうたから。気にせずゆっくりすりゃあええって」
洋子が事も無げに言い、さすが地元の大会社様は違うなと達郎は心の中で舌打ちをした。達郎は庶民だったから、食べるものにも困っている時期にこんなCDなどという役に立たない娯楽品にうつつを抜かしているのが許せなかった。たしかに、達郎も昔は好きで中野の富士屋などに通ったりしていたが、懐事情からそうやたらめったと買えるものではなく、欲しくても手が出なかったりと悔しい記憶ばかりが思い起こされる。
すべての窓はカーテンが閉められていて店内は薄暗かった。せまい棚と棚の間は一列になって、奥の壁際のCD棚まで一直線に進んだ。
「いいですか、田舎ものは通常料金の棚から見るけれど、都会ではそんなことはしません。まずは十銭の棚から、いろは順にCDが並んでいるので『い』から順番に見ていきます」 ※十銭は現在の約二五〇円
洋子はいらっとした。うちの世話になっているくせに、達郎のこういういちいち都会ぶるところが気に食わない。しかし、ジャケ買いをしてみたいと急に頼み込んだのはこちらだったから、今日だけは我慢することにして、文句をぐっと飲み込んだ。
「十銭を見終わったら二十五銭のほうもみたりするんですが、今日はとりあえず十銭の方だけにします」
「それでええから、はようジャケがどんなんかいうてくれえ」
「わかりました、ジャケの内容を順番に言っていきますから、気になったのがあったら教えてください」
さすがに時勢が時勢だから流通量は減っているようで、在庫は少なく棚はすかすかだった。今回ジャケ買いをしたいとの洋子の頼み込みで案内をすることになったものの、たしかに達郎も軍手をはめてのディグでジャケ買いをしたりしたこともあったが、全盲の人間に対してそれを行ったことはさすがになく、まったく未経験のことだった。
「まずは、井上陽水奥田民生の『ショッピング』。黒ずくめでサングラスをかけた二人の男がうつっています。写真の解像度がとても低い」
「そう、次は」
「犬神サアカス團、『不確定性原理の悪夢』。黒地に緑色で波形のようなものだけ」
「悪夢はいやじゃなあ、次」
「ええと『アイラヴユーからはじめよう』⋯⋯、ああこれは背にアーティスト名を書いてないからローマ字表記の『I』を『い』と間違えてますね、安全地帯でジャケはスーツの五人組」
達郎はジャケの説明を続けていくが、洋子にはどれもピンと来ている様子はなく、この調子で終わりの『す』まで続けることになるかもしれないと、達郎はその途方のなさに眩暈をおぼえた。
「今井優子の、あっ、これは角松敏生プロデュースの名盤でわりとシティポップ文脈で評価されているやつで⋯⋯」
すこし興奮してオタク特有の早口になった達郎を、洋子がさえぎった。
「なあ達郎、そんなに説明しょうったらジャケ買いにならんが」
「あ、そうかたしかに」
達郎は疎開で世話になっていて肩身が狭かったから、ここはひとつ恩を売っておくいい機会だと考えて、今日だけは私情をはさまずにジャケの内容だけを淡々と説明していこうと覚悟を決めた。それにしても、よく見かけるはずの今井美樹が十銭棚には見当たらない。二十五銭のほうにはあるだろうか。
「次は⋯⋯、市川陽子の『オールフォーユー』」
「ようこ? あこと同じ名前じゃなあ」 ※あこ=吾子、近代まで主に子供が用いていた一人称
達郎の言葉を聞き漏らすまいと下を向いて耳をすませていた洋子が、ぱっと顔を上げた。
「それはどんなジャケなんじゃ?」
洋子の期待するような表情を横目に、棚からCDを抜き出した。淡いグリーン色のジャケが目にはいった。
「どこか、高原のようなところに女の人が立ってます」
「高原? 目がわるうなる前に、よう家族みんなで蒜山に遊びにいっとったから、高原の景色はわかる」
かつて洋子の目が見えていたというのは、達郎にとって初めて聞く話だった。
「それで? ジャケは高原だけなんか」
「奥の山に少し霞がかかったようになっていて、手前の草原には二又に割れた枯れ木があります。その木の前で凛とした表情の女の人が立っています」
「あこはそれをジャケ買いする」
唐突に洋子は宣言した。知らないアーティストが写っているだけではない、自分の記憶の片隅にある景色に洋子は惹かれたのだろうと、達郎は考えた。
「CDを渡しますよ」
杖をもっていないほうの洋子の左手をまずは手にとり、そこに市川陽子をそっと載せた。CDを手渡す際に、フォーライフの背のように真っ黒に日に焼けた自分の手とは対照的な、洋子の透きとおるような白い手に触れたことでどきっとして、達郎はあわてて手を引っ込めた。達郎の顔は少し赤らんでいたが、洋子は気づくはずもない。
洋子は光を失った目でジャケを見つめながら、一生懸命、手に取ったそのCDの風景を想像しているようだった。かつて見たことがある記憶の中の映像を必死に手繰り寄せているかのような、すこし呆けているような表情を目にして初めて、達郎は洋子を美しいとおもった。
そのときだった。空襲警報の大きなサイレンの音が鳴り響いた。
賽・Sの河原
都内にある家電屋のピュアオーディオコーナーの視聴用CDをこっそり永井真理子に差し換えていった罪により、地獄に落とされてしまった。
「天国はひとつしかないが、地獄には無数のバリエーションがある」とはよくいったもので、自分が落とされた三途の川の河原にある賽・Sの河原と呼ばれるその場所には、ハードオフのジャンクを粗雑に扱った人間や使わないのにジャンク箱のMIDIケーブルを買い占めていく奴などがたくさん集められていて、足元に無数に転がっているジャンク商品の入ったおなじみブルーボックスから、Hi8テープだったりプリンターのインクだったり中古CDだったりを積み上げて、塔をつくらなければいけない刑を科せられていた。
基本的に石よりも平らなものばかりなのでおもったよりもかんたんに高く積めてしまい、脚立などを使うと自分の身長以上の高さになったりするので、地獄とはいえ意外と楽しいところだった。
ただ、賽・Sの河原には鬼がいて、普段はそれぞれの家で録音した素材をDATで交換しあってスタジオレスレコーディングをしたり、昆虫採集をしたりしているけれど、塔がある程度の高さになるとどこからともなくやってきて積み上げたものを崩してしまうのだった。
基本的にこの地獄にいるのはハードオフのジャンクコーナーが好きな人間ばかりで、普通に積むのにはみんなすっかり飽きてしまっていて、どれだけ面白い塔を作れるかの勝負になっていた。その中でも特徴的なものに関しては崩しにやってきた鬼にも評判が良いから、なかなかやりがいがある刑だった。最近では、レアなZIPの二五〇メガバイトのディスクだけで五メートルほどの塔を作った男がいて、河原ではしばらくその話でもちきりだったりした。
いろんなところに散らばっているジャンクCDの箱を地道に探し続け、幾日もかけて、コツコツと長い時間をかけて積み上げた自分の塔がようやく高さ四メートルほどになった頃、夏服とスケートをはいた鬼がいよいよ塔を崩しにやってきた。鬼は自分の塔を見るなり「おお」と感嘆の声を上げた。そこには真っ黒い、フォーライフのCDだけで積み上げられた塔が立っていた。杏里、今井美樹、AOR期の伊勢正三、原みゆき、浜本沙良など、鬼はそびえ立つ黒地に黄色とピンク色のオシャレな塔を見上げていたけれど、何かに気づき、あっさり塔をなぎ倒しながらこう言った。
「佐藤聖子の『マーベラスアクト』と栗原玲子『グレープ』は黒くないからやり直し」
自分は崩されたCDの山をジャンクのブルーボックスに丁寧にしまい直し、今度はNECアベニューだけの塔を作ろうと、また別の新たな箱を漁りはじめた。
夜警
深夜三時にまたアラームが鳴りひびいた。警備システムで場所を確認すると、正面入り口からエスカレーターをあがってすぐのところにあるブックオフだった。アラームが作動するのは今月はもうこれで三回目になるが、三回とも場所はこのブックオフだった。システムのアラームのスイッチを切ってから、重い腰を上げて詰所をあとにする。
この地方のショッピングモールで深夜にワンオペの警備員の仕事をはじめてから、かれこれ数年になる。いつの頃からだったかは忘れたけれど、二階のブックオフで深夜、定期的に警報が鳴るようになった。これはいちおうは警報機の誤動作ということになっていて、実際、警備会社にもそう報告してあるし、何度も業者に機械のメンテナンスや交換をしてもらったが、この現象が解消することはなかった。
他の同僚は気味悪がり、このショッピングモールでの夜勤を嫌がっているが、警備システムが誤動作する理由を知っている自分だけは平気だったからいつも夜勤をまかされていた。
懐中電灯を頼りに階段をのぼり二階のブックオフを遠くから確認すると、CD棚の辺りでリュックを背負ったオタクの幽霊がディグをしている姿が確認できた。毎回アラートを鳴らしているのはこの霊で、よほどこの世とブックオフに未練があるのだろう、安い棚だけを手慣れた様子で「あ」から順番に眺めていっているその霊は自分が死んだことにも気づいていないらしく、棚の最上段を見るのに脚立を使わず、足がないからと浮き上がって仔細を確認している姿は滑稽ですらある。
この幽霊の行動パターンは毎回おなじだった。邦楽の二九〇円と五〇〇円の棚を見終わって得るものがなかったことに落胆しつつも、一応、念のためにと洋楽の「P」の棚を確認しにいく。実はこのブックオフには洋楽の棚の方に、プラチナム900の『フリー』が間違ってささっているのだけれど、ブックオフの店員も放置している上に田舎だからその価値のわかる人間がいるはずもなくて、もうずっと長い間、プラチナム900は洋楽の五〇〇円棚で目利きに発見してもらえるのを待ち続けている。
その市場価値がわかっているオタクの霊は一瞬、信じられないという顔をして震える手でそのCDを取る。いくつかの雑誌やムック本でその特徴的なジャケを見たことはあったが、プラチナム900のCDの背はこんなデザインだったのかと新たな発見の喜びに満ちた表情で、霊はその戦利品を手にレジへ向かい、店員を探してきょろきょろしはじめるのだった。様子をうかがっていた自分はそこでレジへ向かい店員のフリをしてやる。最高のディグの成果に高揚した表情の霊を横目に、レジに打ちこむフリをして、自分はこう告げる。
「すいません、いまレジが壊れていて、ポイントでのお支払いしかできないんですよ」
ブックオフのポイントカードをかたくなに作ろうとしないオタク特有の謎のこだわりを持っているらしいその霊は、その瞬間、とても悲しそうな顔をしてなにか言葉にならない叫びのようなものをあげながら、すーっと消えてしまう。レジに置かれたままのCDを元の場所に戻しておけば、これで深夜の定例作業は終わりだった。あとは「アラームの誤動作」と報告書に書いておけばいい。
推測にしか過ぎないけれど、レジを通したフリをして会計を終わらせてやれば、このブックオフに囚われた憐れな幽霊はそのディグの達成感で成仏してくれそうな気はするが、そうはさせない。底意地の悪い自分がここの警備員をしている限り成仏させてやるつもりはない。
通過儀礼
いよいよ大人になるための儀式を受けなければいけない日がやってきた。一人前の戦士として認められるためとはいえ気が重くてしょうがない。そもそも自分が将来なりたいのは公認会計士で、戦士なんかではない。
暗い気持ちで一階のリビングにおりると母が、古い慣習を疑いもしない人間特有のものを考えていない様子で、
「今日はどれを持っていくの」
と、にこにこしていた。
儀式なんて心底どうでもよかったので、棚から適当なものを選んで抜き出し、バッグに入れた。
「一枚だけでいいのね」
「いい」
「帰ったらケーキあるから」
せっかくの十五歳の誕生日なのになんでこんな嫌なおもいをしなければならないのかと、いらいらしながら家を出た。
外はいい天気なのに心は晴れず、すれ違う大人たちがにやにやしながらこちらを見ているような気がして足どりも重く、いつもよりも時間がかかって近所のブックオフにたどり着いた。カウンターにいた店員に声をかけ、
「買取おねがいします」
と、バッグから加藤いづみの『スキニー』を取り出した。
「買取と、例の儀式ですね、お待ちください」
すでに話がついているようで、店員はバックヤードからヤシの葉で作られたミトンのようなものをふたつ持ってきた。その緑色の大きな手袋からは、かさかさと不吉な音がしている。
自分が生まれ育った町には、男だけが受けなければいけない、大人になるための儀式がある。それは十五歳の誕生日に、森の奥地で捕まえてきたバレットアントという猛毒を持つアリを何十匹も縫いこんだ手袋に手を突っこみ、ブックオフの査定が終わるまで耐えなければいけないというものだった。江戸時代から続いているらしいこの風習は重要無形文化財にも指定されているらしく、民俗学的な観点から後世に残すべく、そして大人たちがかつて自分にされたことの仕返しだか知らないけれど、取りやめになることもなくえんえんと続いていた。
「査定が終わるまで、手を抜かないでくださいね」
店員は念を押して、緑色のグローブをカウンターに置いた。大人たちからこの儀式の話はさんざん聞かされていたから、いざとなると緊張と恐怖で冷や汗がでてきた。
覚悟を決めて、手袋に一気に両手を差し込むとすぐに、窮屈なところに閉じ込められて気の立っている獰猛なアリたちが、待ってましたとばかりにいたるところを刺してきた。バレットアントは対象に顎でかみつき体を固定したまま、尻にある長い毒針を何度もくり返し突き刺してくる性質がある。いままで感じたことのない、そしてこれから二度と体験することはないだろう猛烈な痛みが一気におそいかかってきて、痛覚の限界を超えたのかすぐに視界が真っ赤になり、しばらくは我慢して歯を食いしばり耐えようとしたけれど、あまりの痛みに叫ぶことしかできなくなった。
全身から滝のような汗を流しながら店員を様子をうかがうと、査定をすると言っていたわりにまったくその様子もなく、もうひとりいたはずの店員がタイミング悪くバックヤードに入ったせいでレジに入ったり客と話しこんでいたりと、査定が終わるような気配がまったく感じられない。ついには痛みで立っていることもできなくなり、床をのたうちまわり叫び声をあげても、客や店員はああ恒例の行事かと気に留める素振りもなかった。
手はとっくにしびれて感覚がなくなっていて、両手を火であぶられているかのような痛みは腕や肩のみならず全身にまで広がってきていた。いよいよ脳が痛みを受けきれなくなってきたのか何度も気を失いそうになり、次第に店内アナウンスが遅回しになったように聞こえてきて、まるで清水国明がしゃべっているようだなとおもったところで意識がなくなった。
MALTAの鷹
朝からずっと降り続く雨はまだやまない。用心して喫煙コーナーでしばらく様子をうかがってみたが、尾行されてはいないようだった。充電の切れたアイコスを投げ捨て、レインコートの襟を立てて通りを横切り、目的のツタヤに入店した。
「新譜が欲しい」
レジのやる気のなさそうな店員に、手短に伝えた。
「新譜と言われても分からねえよ」
「マルタのなんだったかな」
「サックスプレイヤーの?」
「いや、加藤和彦の『マルタの鷹』だ」
店員の目の色が変わった。情報屋から買った合言葉はどうやら正しかったようだ。
「⋯⋯わかった、アダルトコーナーの熟女モノの棚を押せ」
店員に言われたとおりに、「十八歳未満立入禁止」の暖簾をくぐり熟女モノの棚を押すとそこは隠し扉になっていて、地下への螺旋階段があらわれた。〇・二秒のショートディレイのかかった足音を聴きながら階段を下り鉄の扉を開けると、かつて放火により閉店に追い込まれたはずのブックオフ学芸大学店が姿を現し、店長がぶっきらぼうな一瞥をくれた。店内にはもうすでに他に二人ほど客がいて、それぞれクラシックとイージーリスニングコーナーを見ている。
著作権法の急進的で過激ともいえる改正により、中古CDの販売がすべて禁じられてしまった結果、ほとんどの中古屋が閉店しただけでなく、暴走する市民や私立警察の手により残った店舗も軒並み廃業に追い込まれていった。いくつかの店舗は閉店をしたように見せかけて地下にもぐり闇営業を行っていてこの店舗もその中のひとつだったが、同じように隠れて会員制で営業を続けていたブックオフ豪徳寺駅前店は先週、謎の武装集団に襲われ壊滅状態になったばかりだった。話によれば、会員の中にスパイがいたらしい。
「あんたは大丈夫なんだろうな」
こちらの素性を怪しんで店長が鋭い目でにらみつけてくる。
「もちろんだ」
首筋に刻み込まれた永井真理子のシルエットのタトゥーを見せると、ようやく店長は安心したようだった。
「まあせっかくなんでゆっくりしていってくれ」
「ありがとう、そうさせてもらうよ」
いつものように二九〇円棚を「あ」から順番に見ていくと、さっそく宇井かおりの『ドア』があり期待が膨らむ。しかしその瞬間、上のほうでなにやら爆発音らしきものが聞こえた。
「くそっ、もう嗅ぎつけられたのか」
店長が監視カメラの映像をにらみつけながら吐き捨てるように言った。
「やつらか?」
「そうらしい、ここはもうだめかもしれない。俺が時間をかせぐから奥の扉から逃げろ、立会川の暗渠に出る。あとは行けばわかる」
そういって店長はレジカウンターの下からサブマシンガンを取り出した。
「すまないな、だがもうすこしだけディグを楽しませてもらってから行くことにするよ」
「そうしてもらえれば俺も本望だ、俺が上にいったらここのドアは内側から鍵をかけてくれ」
「わかった」
店長が出て行った後に約束どおり施錠すると、他にいたはずの客はとっくに逃げていて店内には自分ひとりだけだった。おそらくこの店舗最後の客は自分になるだろう。なんとも贅沢なディグになりそうだった。頭上の分厚いコンクリートのむこうから銃撃戦の音が聞こえる中、ペース早めで二九〇円棚の途中からディグを再開したけれど、びっくりするぐらいなにもない本当にクソみたいな棚で、時間を無駄にしたと舌打ちをしつつ、裏の扉から地下道に飛び出した。
みにくいブックオフのCD
ブックオフ飯能双柳店で買ったCDたちは、川井郁子がIKKO名義だった頃のファーストアルバムを筆頭に、永島由子やシャントン・ラムール、由姫など、どれも素晴らしいものばかり。しかしその中に一枚だけ、どうしても良い曲がみつからないCDがありました。
それは、あまり特筆するべきところもないジャケ、良くないCDにありがちな全体的な音量レベルの低さ、バラードばかりの聴きどころのないCDでした。どうにかこのCDの良いところをみつけたくて、毎日、かならず聴くようにしましたが、どうにもならないという気持ちが募るばかり。しばらく時間をおいてから、あらためて聴き返してみてもやはり印象は変わらずでした。
せめて一曲でも拾えないかと、そのCDの曲を中心にガールズポップのミックスを作って他の良い曲の流れの中にまぎれこませてみましたが、肝心のそのCDの曲だけが全体でみるとどうしても浮いてしまいます。ガールズポップミックスをあきらめて、あまり興味はありませんでしたがロック姉ちゃん系のミックスを作ってなじませようとしても、やはりうまくいきません。不甲斐なさと怒りのあまり、おもわずそのCDをケースごと放り投げてしまいました。ケースと中身がバラバラなまま、部屋のすみでCDは悲しげに転がっていましたが、そのまま放置しました。
幾月か経ち、掃除をしていると部屋の片隅からほこりにまみれたCDが出てきました。それは放り投げたまま、ほったらかしにしていたCDでした。すっかりその存在を忘れていましたが、これが最後のチャンスかもしれないと、CDをケースにしまう前にもう一度だけ、ちゃんと通しで聴いてみることにしました。
するとどうでしょう。一曲だけ、たった一曲だけでしたがなんと聴ける曲がみつかったのです。一曲でも良い曲があったらそれは名盤です。このCDはダメCDではなかったのだと、喜んでパソコンに取りこもうとしたところで気がつきました。
ほこりにまみれていたCDは飯能で買ったものではなく、以前にもおなじようにぶん投げて放置していた、五味美保のCDだったのです。しかし、五味美保から一曲みつかっただけでも儲けもんです。床に落ちているほこりだらけのもう一枚のCDは正しいケースに戻して、二度とこんな乱暴な目に合わないように、聴かないCDコーナーにしまいこみました。それっきりそのCDはもう聴かれることはなく、棚で幸せな余生を過ごしましたとさ。
失われた曲をもとめて
給料日後のヤマタツリフレはとても混んでいて、お気に入りのまりやちゃんは予約でいっぱいだった。新人の真理ちゃんに本指で入ると、前のお客さんからの差し入れだというマドレーヌをもらった。その茶色のパッケージにはどこか見覚えがあるが思い出せない。ギターカッティングの音の粒をそろえるコツについてのたわいもない話をしながら、そのマドレーヌをなにげなく口に入れると、亡くなった祖母が昔よく買ってきてくれていたマドレーヌの味が唐突に思い出された。レモンのすこし効いた、ざらっとした砂糖の甘ったるいなつかしい味を知覚したその途端に、はるか昔の忘れ去られていた古い記憶が一気によみがえってきた。
それは中学生の頃の出来事で、下校途中の道端でカセットテープを拾ったことがあった。裏のシートにもケースにも何も記載がなく中身が不明なそのテープを家に帰って聴いてみたところ、KANの「愛は勝つ」や安室奈美恵の「スウィート・ナインティーン・ブルース」のような九〇年代ヒット曲ばかりの中に一曲だけ、タイトルのわからないガールズポップが入っていた。
歌手やタイトルがわからないということは、ヒットしたりコマーシャルで使われていたりしたわけではないようだけれど、他の大ヒット曲たちとくらべて劣っているわけでもない、とても良い曲で、このカセットを作った人が好きなアーティストなのだろうかとおもったりした。気に入ってウォークマンでずっとその一曲だけを繰り返し聴いていたけれど、あるときにテープが絡まってだめになってしまい、そのままになっていた。
そんな曲を唐突に思い出した。その記憶はおどろくほどあざやかで、細かいアレンジや歌詞も一番だけならサビまでありありと思い出すことができた。真実は無意志的記憶のみにある。過去の真実の探求がここから始まった。
まずはそれらしい情報がないか、ネット検索をしてみたがだめだった。歌詞だけで検索してもひっかからず、ネットでいくら調べても無駄だとおもい、レコファンやディスクユニオンなどの実店舗で九〇年代のガールズポップを探し始めた。ある時、ブックオフの安い棚に知らない九〇年代ガールズポップ勢がたくさんいることに気づき、それからは憑かれたようにブックオフとハードオフで安ガールズポップCDを買いあさり片っ端から聴いていった。中にはまったく知らないとんでもない名曲があったりもしたけれど、記憶の中の曲ではなかった。
何年かをかけて、日本各地の店舗をまわっていったがそのうちブックオフにも限界を感じ、先人の知恵を参考に、目黒図書館や府中図書館などのようなメディア在庫が多い図書館の近くに引っ越しして、ありとあらゆるガールズポップのCDを借りては聴いていった。インディーズや自主製作のものも含め、聴いたCDが三千枚を超えてもなおその曲は見つからなかった。そして何年経ってもその曲が頭の中で色褪せることはなく、不思議なことに、より細部までもが鮮明になっていくようだった。
こんなにも詳細に思い出すことができるのならと、頭の中だけで鳴っているその曲を一度整理の為、DTMで打ちこんでみようというアイデアが思い浮かんだ。実際に近い形で再現できれば、その曲に心当たりがないかネットやSNSで人の意見を聞くこともできるかもしれない。
慣れないDAWを覚えて、睡眠時間を削っては曲を再現していった。記憶にある音を様々なソフト音源を試していくうちに、Bメロで鳴っているのはコルグM1のストリングだということに気がついた。より頭の中の音に近づけるためにソフト音源ではなく実機を買ってみた。パーカッションはE‐MUのプロカッションだと判明した。ヤフオクの転売屋と激しく争って実物を落札した。
いよいよバックトラックが完成したものの、女ボーカルはどうするかという問題があった。幸いにもバ美肉の人たちのボイチェンのノウハウが蓄積されていたから、様々なソフトを使いボイチェンをテストしていった。バックトラックの細部を修正しつつ、ボイチェンを試してみたりと、その頃には曲の再現が生活の中心になっていて出社している時間が惜しくなり、会社には長期休暇を申請した。
休みに入り、人に会う用事もなくなったので、ボイチェンをかけやすいようにそもそもの発声から変えてしまった。しばらくの試行錯誤の末にようやく、記憶の中の声とほぼ一致した女声を手に入れることに成功した。
歌いまわしや譜割りに時間をかけてボーカルを入れていくとついに曲が完成した。それは長年、探し続けても見つからなかった記憶の中だけでしか聴けなかった曲そのものだった。
ネットの住民から情報を得るためにサウンドクラウドに上げたところでふと思いついた。もしかしたらなにかのまちがいでサブスクにはあるかもしれないからと、その曲をシャザムで読み取らせてみた。Aメロ、Bメロでは変換できなかったが、サビのアタマの部分が奇跡的に読み取れたようで、曲名とアーティストが表示されると同時に、まばゆいばかりの光がスマホから放たれて、暗いDTM部屋を明るく照らした。そして、その光の中心には永井真理子と谷村有美を足して岡村孝子で割ったような女の姿があった。
「やっと創りだしてくれたのね」
ガールズポップを体現しているかのような女は、程よいリバーブ感のある声で語りかけてきた。その声は、長年追い求めてきた曲で聴ける歌声に瓜二つだった。
「私はガールズポップの女神。願い事はすべてかなえましょう」
自分の願いはひとつしかなかった。長年追い求めてきた曲のサビが流れる中、穏やかな女神の微笑に見つめられながら、あたたかい光に包まれていった。
長期休暇明けの出勤日に無断欠勤をしていることを理由に会社から連絡があり不動産屋が部屋に入ってみたところ、室内では腐乱死体が発見された。死後しばらく経っているらしく、どろどろに腐敗し蛆がわいたその人型のものの手には一本のカセットテープが握られていて、部屋中がハエや黒ずんだ液体などでまみれているのに、不思議とそのカセットだけはきれいなままだったので現場検証に来た警察は訝しがった。
その後、サウンドクラウドにアップされていた曲やいくつかのデモ音源がモノ好きの手により発見され、一瞬だけSSWおじさんの間で謎のガールズポッパーとして話題になったが、それもあっという間に忘れ去られてしまった。
友情、ディグ力、勝利
店内にまもなく閉店であることを告げる蛍の光が流れ始めた。何時間もねばって棚を何度も何度も見返したが、そのブックオフからはついに一枚も抜くことができなかった。本当にどうしようもない棚だったとはいえ、これまではどんなにひどいブックオフでも最低一枚は抜けていたから、生まれて初めての敗北といってよかった。形だけのいらないCDを買って帰ることはできるだろうがそれでは信義に反してしまう。
悲しいかな、これが年を取るということなのだろう、俺のディグ力もずいぶんと衰えてしまったものだ。そろそろ潮時だから、引退を考えなければいけないのかもしれない。体力も気力も尽き果ててリノリウムの床にがっくりと膝をついたそのとき、誰かが俺の傍に立った。
「そんな情けない姿は見たくなかったぜ!」
「おまえは⋯⋯渋谷系のヨウイチ!」
渋谷系のヨウイチ、こいつは渋谷系ばかりを専門に抜いていくディグのプロだ。とにかく自分勝手な独断で、あれは渋谷系だ、これは渋谷系ではないと根拠のない、ろくでもないカテゴライズばかりをして、自らの基準から外れるつぶやきやブログには徹底的なエゴサーチでもってクソみたいなリプ返をしつづけることで有名な嫌われものだった。
「俺のシマになんのようだ!」
「お前がダメだった棚でも、オレになら抜けるかもしれないだろ?」
「ま、まさか味方をしてくれるというのか?」
かつてはライバル同士、したらば掲示板ではげしい罵倒合戦を繰り広げたり、共通の友人にあることないことお互いの陰口を言い合った仲ではあるが、敵にまわすとやっかいな相手も味方になればこれほど心強いものはない。
「ヨウイチの言うとおりだ、ディグはなにも一人でやらなきゃいけないってわけでもないだろ?」
「オ、オルゴールのマサ! お前がなぜここに?」
オルゴールのマサ、文字通りオリコンチャート曲やユーミン、ビートルズといった有名どころなど、本人の許諾なく勝手に作られたオルゴールCDのみを集めているオルゴールディグの第一人者だ。ミックスクラウドにオルゴールミックスを大量にあげているが、需要があるわけないから再生数はもちろん全部一桁だ。
「お前は去年、実家のオルゴール工場を継ぎに田舎に帰ったはずでは⋯⋯」
「田舎にいるとカラダがなまってしまって仕方がねえ。ツイッターのつぶやきをみて、駆けつけたってわけよ」
「そうだ、ライバルとはいえ、追い込まれているときはお互い様だ」
「フォ、4ビート馬場まで!」
4ビート馬場、エレクトリックジャズとジャズボサノバに親を殺されたという噂のある、ウォーキングベースに固執しすぎるあまりにクソを煮詰めたような年寄りになってしまった元ジャズ研のトランペッターだ。それにしてもまさか4ビート馬場まで現れるとは、ウィントン・マルサリスを万引きして刑務所に入れられたらしく、しばらく姿を見ていなかったのだがいったいどういうことなのだろう⋯⋯
「お前は服役中のはずじゃないのか?」
「ふっ、仮出所中さ。なつかしいなこのプラケースのにおい⋯⋯、また隙があったら万引きしてしまいそうだ」
「それにしても、我々、四人がそろってしまうとはな⋯⋯」
かつてミクシーの『美味しんぼの初期の栗田さん』コミュで四天王と呼ばれ恐れられていた四人が集ってしまった。このバラエティ豊かな四人であればどんなブックオフにも負けるわけがない。抜ける! このクソみたいな棚が相手でも、この四人で力を合わせれば抜ける!!
「俺たちが揃ったら無敵だぜ!」
しかし閉店時間はとっくに過ぎていたので、すぐに店員が閉店だと言って追い出しにきた。わがままを言って五分ほどねばってみたものの、結局みんなで探しても一枚も抜けなくて、近くの松屋で牛めしを食いながらプチ反省会をしてから解散した。
ハズレのない店
観念的な見せかけのエコブームは去って、いよいよプラスチックゴミが世界的な問題になるにつれて、違法に投棄されるプラスチックゴミが特に問題視されるようになった。プラスチックの廃棄時に焼却することで熱効率を上げるサーマルリサイクルをより推進していくことが決定され、その目的のために握手券や特典だけが目当てで大量に廃棄されたりと前から評判の良くなかったCDのプラケースがついに標的にされるようになった。
おそらくはブックオフに親を殺されたか、大事な思春期にハズレCDを掴まされ続けた哀れな男が官僚にいたのだろう、ディガーたちの知らぬ間に「不良コンパクトディスク駆除法案」なるものが成立し、いつの間にか施行されてしまっていた。
この法案は、「レビュアー」と呼ばれる、底意地の悪さを持たないことを基準に政府から選ばれた有識者で構成された認定委員会により、新品・中古問わず、優良であるCDが選定されて保護される。その一方で、選定からもれてしまったその他のCDは不良扱いとしてすべて駆除対象になり見つけ次第、発電所の燃料がわりにされてしまうことになった。
CDの認定作業はレビュアーだけでは追いつかないため、政府が認めた『ライトメロウ和モノスペシャル』のような優良ムック本に含まれるものも優良扱いになり、またレビュアーに選ばれなかった一般人であっても、然るべきフォーマットに沿って理論的に良さを述べたものであれば、専門家による査読を経た後に優良認定されるとのことだった。
しかし、この法案の特に問題だったところは不良CDの駆除に対して報酬を設定してしまったことで、駆除の証拠に不良CDを半分に割り、そのケースとともに役所に持ち込めば一枚に付き五五〇円の報酬が出ることにあった。実際、施行当日には報酬目当ての人々がブックオフに押し寄せ、二九〇円と五〇〇円の棚で競うように奪い合い、棚にはほとんどCDが残らなかった。知識もなく金に目がくらんだ人間ばかりだったから、不良CDかどうかの確認すらせずに事に及んだ者が多くて、誤って優良CDが大量に割られてしまう事態にもなったが後の祭りだった。ブックオフと平行して、アマゾンのマーケットプレイスやヤフオクからも、安いよくわからないCDがあっという間に駆逐されていって、あとは有名なアルバムだけが回転しているだけの状態になった。
ちょうど忙しくしていた時期で、自分がこの騒ぎに気づいたときにはすでに施行から何日か経ってしまっていた。優良認定されたCDの一覧PDFをながめていると、佐藤聖子のアルバムはほとんど網羅されているのに、なぜかファーストアルバムの『ブライトライツ』だけがそこから漏れていることに気がついてしまった。当たり前に名盤すぎて、誰しもがスルーしてしまったのか、あまりの信じられない事態に動転しつつも、いかにファーストの出来が良いか、佐藤聖子を語る上ではずせないデビューアルバムであること、テープ切り裂きジャックによるuchinumaミックスのすばらしさなどについて、急いでレビューを書いてしかるべき機関に送ったが査読には数週間を必要とした。
予定よりも少し遅れて一ヵ月後に『ブライトライツ』を優良CDに認定するとの連絡がきたが、もうその頃にはあまり値段も高くもなかったファーストアルバムは軒並み買われて駆除されてしまい、店舗にもネット上にも、どこにも見当たらなくなってしまっていた。自分のようにCDをもうすでに持っている人間はまだしも、サブスクにあがる予定もない、アルバム曲が動画サイトにアップされているわけでもないものは、この世からその存在が消し去られてしまったようだった。
失意のままに日々を過ごし、散歩中にたまたま通りがかったブックオフで久しぶりに二九〇円棚をながめてみると、枚数は少ないながらもどれも評価の高い有名盤ばかりでさながら博物館のようだった。清く正しいその棚には目新しさもなく、いまさら欲しくなるようなCDもなかったので、ブックオフをあとにして散歩を再開した。
スキトキサイコメトリストキス
ここ最近、その店の近くでは殺人事件が連続で発生していた。被害者は決まってその店でCDを買っていった客で、どれも鋭利な刃物のようなもので首を切られていた。凶器も見つからず、警察の捜査でもらちが明かないようで、遺族からサイコメトリストである自分に依頼がやってきた。
まずは現地調査としてその問題の店にいってみることにした。郊外にありがちな古着も売っている店舗で、夜もわりと遅い時間帯だったから人もあまりいなくて自分にとっては都合がよかった。店内の様子は普通の店舗と変わりはないようだったが、手がかりがないか、棚にあるCDをいくつか手にとってみることにした。
子供のころから、自分は触れた物の過去の記憶を遡って知ることができた。前の所有者だとか、その物が扱われていた様など、人の固執した物だったり執念などがあるとそのイメージはより鮮明に見える。
二九〇円棚にあったGAO『ロイ・ロイ』に触れると、あざやかな色の流れのようなものが脳内に流れ込んでくる。そしてその流れはだんだんと形を作り、詳細なイメージへと変化していった。
そのCDにまつわる記憶は女のもので、ラジオで流れた「サヨナラ」を気に入りCDを購入するところからはじまっていた。最初はGAOを男だと思いこんでいたらしく女だということがわかりショックを受けるシーンや、忘れ去った頃の二〇〇〇年にギャングスタラッパー、リアルG名義で活動していることを知りおどろいている様子などが見て取れた。最後は近くの公団から新築の一軒家に家族で引っ越すタイミングでCDをすべて売ってしまったらしく、それがこのCDが棚に収まっている理由らしかった。
次に今井美樹のベストアルバム『アイボリー』を手に取る。元々はレンタル用のCDらしく、皆テープに取り込んでは返却を繰り返しているイメージが見えた。やがてレンタル落ちしてケースだけを新品に入れ替えてからは中古CDとして、いくつもの人や中古店を渡り歩いていた。
それにしても、この店の棚を一目みたときから違和感があった。それは二九〇円や五〇〇円の棚にやけにレアなCDがあるということだった。大本友子『ニュースにならない恋人たち』や船越由佳『サイレントサン』などをまさかブックオフの棚で見かけるなんて思いもしなかった。
最近では見かけなくなった、今津真美のセカンド『シルエット90』に触れてみた。その瞬間、先ほどまでのCDとはわけがちがう、強烈なイメージが濁流となって一気に脳内に流れ込んできた。前の所有者はとても強い念をこのCDに対して持っていたようだ。
脳内の光景では、一人の男がアマゾンの荷物を受け取り、破り捨てるようにその包装を剥ぎ取ってすぐさまCDプレイヤーで流し聴きしながら、ものすごい剣幕でペンを走らせてなにか大量に文章を書いている様子が見えた。どうやらこのCDのレビューを書いているようだった。その熱意はいったいどこからくるのか、狂気じみた様子でレビューをノートに書き留めているが、ブログに書いたりアマゾンマーケットプレイスのレビューにアップしているわけでもなさそうで、怨念ともいえるほどの悪意を持った低評価のレビューばかりをそのノートにしたためていた。
五〇〇円棚では、同じような強い念を彩恵津子の『パシオ』から感じた。そこから見えたのは、先ほどと同じレビュー男がCDケースのトレイをはずして何かを隠しているイメージだった。それはなにか発信機のたぐいのものらしい。クリアケースではない『パシオ』ならケースになにか仕込んでも、なかなか気づくことはできないだろう。CDを手にとって振ってみると、たしかにからからと少しだけ音がする。なんの目的があって発信機を仕込んだのだろうか。
次は需要がないから高くも無いのにめったに見かけない、ボンシックのファーストアルバム『エマージェンシー』のイメージを見てみる。
このCDを購入した客が家に持ち帰るところからイメージが始まり、次の場面はその客がレビュー男に殺されているシーンだった。男の手にはCDの円盤が握られていて、そこからは赤い雫が垂れている。続いては、レビュー男が研磨機でCDのエッジだけを鋭く尖らせている光景が見えた。凶器がみつからなかった理由はこれだった。事を済ませたあとは凶器になったCDをケースにしまって再びこの店に売ってしまえば気づかれないということなのだろうか。しかし、それにしてもさすがに買い取りの査定のタイミングで店員が盤の状態くらいは見るはずだ。
CDをサイコメトリーすることに集中しすぎていて、意識が店舗内にいっていなかった。ふと我に返ると、まだ閉店時間よりも前なのになぜか入口のシャッターが閉まっている。そして、するどくこちらを睨みつけているかのような悪意のある視線を感じた。どうやら少し深入りしすぎてしまったようだ。棚の向こうに人のいる気配がするが、そこからはどす黒い、とてつもなく強いオーラを感じる。
最後の一枚
入道雲にむかって長い坂をのぼりきると汗でTシャツが重くなった。ようやく待ち望んでいた夏らしさも散歩するにはすこし暑すぎて、先週までの涼しさがもうすでになつかしい。住宅街を見下ろすように建つ、昔ながらの黄色と青の看板のブックオフはエアコンがよく効いていて、五分も棚を眺めていると汗はすっかり引いてしまった。
二九〇円コーナーには特にめずらしいものはなく、蛍光灯の反射で見にくい五〇〇円棚の最上段を前かがみになって目を凝らしたりしていると、ずっと買い続けているガールズポップの人の、唯一もっていなかった三枚目のアルバムが見つかった。ウィキペディア情報によれば、アルバムはこれで五枚すべて揃ったことになる。すでに聴きこんだ四枚はほとんどがバラードで、リズム隊のいない曲ばかりだったからいまいち自分の好みではなく、良いとおもえる曲にはまだめぐりあえていなかった。
マイナーな人だからあちこちのブックオフをまわっても見かけることは少なくて、もうネットで買ってしまおうかと考えていたけれど、やはり店舗で発見する喜びにまさるものはない。
飲み物を切らしていたので、外の自販機でお茶を買っておいた。よく冷えていて、水滴のついたペットボトルを首筋にあてると頭がすっきりとする。近くにマックやファミレスはなさそうだったから、坂を登りきったところにあった小さな公園でひとやすみしていこうと、セミの鳴き声しか聴こえない日陰のベンチで新興住宅地の多種多様で色あざやかな屋根をながめながら、坂の下から吹き上げてくる気持ちの良い風に涼んでいると、いま買ったばかりのCDを無性に聴きたくなってきた。こういうときのために、バッグにはいつでもCDウォークマンをいれてある。
聴いたことのないCDはすべて新譜だとおもっていて、五〇〇円の値札のついたパッケージを開けながら、もうこの人の新譜は聴けないのかとすこしさみしくなった。
一曲目はあいかわらずのバラード始まりで、何回か早送りしてもリズムがなかったから、さっさと飛ばしてしまった。しかし次の曲はエレピから始まって、いままでこの人の曲では聴いたことのないグルーヴィなリズムに、ホーンも鳴り響いている。イントロのシンセリフも完璧としかいいようがなかった。
Aメロはすこし抑え目ながらも良いメロディで、あまり歌がうますぎないところがちょうど合っていた。Bメロへの入りが少し違和感があったけれど初聴だとそれがなにかはわからず、下降していくコード進行がサビへの期待を高めていく。
いよいよやってきたサビはここまでためてきたものを解き放つかのように高らかに歌い上げていて、この人は自作曲のみのはずだったから、こんなすばらしいメロディをかける人だったのかと驚きつつ、ついに一曲当たりを、しかもとんでもない当たりを見つけてしまったことに、ひとり興奮した。
二番はBメロからすんなりサビにいかずにホーンソロに入った。スマップの「夏が来る」や井上昌己「さよならは8月のミラージュ」みたいな大好きなパターンで、なおかつホーンソロ終わりに一度Bメロに戻ってから、上昇するシンセフレーズのキメをはさんでサビに入り、そのままアウトロのフェードアウトまで休む暇なく完璧な展開だった。
ガールズポップのCDを大量に聴きこんできても、まだこんな知らない良い曲があるのかとおどろきつつ、自分好みの最高としか言いようのない曲に出会えたことが信じられなくて、次のどうしようもないバラードがはじまったことにしばらく気づかなかった。興奮を抑えようとペットボトルで首筋を冷やしながら、いちおうはアルバムの続きを聴いてみたけれどやっぱり静かな曲ばかりで全体的にはそれほどでもなく、わかったのは二曲目だけがズバ抜けていることだった。いつしか風はやみ、日陰なのに蒸しかえるように暑くなってきていた。
今度はすこし落ち着いて聴きかえしてみると、Aメロのひとまわし目は普通に八小節なのにふたまわし目は六小節でばっさり切って、Bメロに入っていることに気がついた。これが違和感を感じた原因で、とても良いアクセントになっている。この素晴らしいアレンジは誰なのかクレジットを確認しなければいけない。サビに向かうようにBメロがまた下降していく。
首筋に当てたままのペットボトルはすっかりぬるくなってしまったが、それに気づかない。近くの木でセミがうるさく鳴き始めて、住宅街のむこうからは夕立でも降りそうな黒い雲が近づいてきている。曲はもうすぐサビにはいりそうなところで、どうしてこんなにも魅入られてしまうのか、その正体をつかもうとイヤホンに神経を集中させた。こめかみを汗がつたっていくけれど、コーラスアレンジや裏で小さく鳴っているシーケンスが、繊細なライドシンバルやハネるシェイカーの音が気になって、曲に夢中で動くことができない。
二〇二〇年八月三日〜八月二二日