かつて秋田~新潟の間で運行されていた「きらきらうえつ」という観光客向けの臨時快速列車に乗っていると
「次は初代南極探検隊、隊長を生んだ街、金浦です」
という風なアナウンスが流れてきてびっくりしたことがある。日本で最初の南極探検隊の隊長といえば、とある界隈では有名な、白瀬矗しかいない。岡林信康、清水信之とともに日本三大ノブのひとりでもある。金浦はそんな白瀬矗の生まれ故郷らしかった。次の季節に日本海側を旅しているときにふとこのことを思い出して、せっかくだからと金浦駅で降りて白瀬南極探検隊記念館へいってみることにした。バスは本数が少なかったから駅からは歩いていく。
展示は写真や所縁の品々の他に、南極におけるアムンセン隊、スコット隊との絡みについても時系列でもって詳しく説明があり非常にためになった。南極への出発前に受けたインタビューの音声が残っていて、なんと肉声を聴くこともできたので、録音したものを白瀬矗愛好家の人に送りつけておいた。資料館の隣の建物にはオーロラの映像がとてもニューエイジな音楽を伴って流れてくる展示があったりして、白瀬矗の人生のわりと血なまぐさいハードなエピソードとは対照的に、とても良いところだった。
金浦の隣駅、仁賀保に前から気になっていた魚屋兼食堂があって、散歩がてら一駅ほど歩いてみようとおもったのがそもそもの間違いで、ときおり晴れ間ものぞいていた天候が一変、雪が降り始め風は強くなり、じきに横なぐりの雪になった。前日に立ち寄った温泉にうっかり置き忘れてきていて傘もさせず、家屋もなく雪避けになるような物もない国道沿いに、フードをかぶって絶望的な気分でえんえんと、吉田朋代『ホワイトマジック』の初回盤クリアケースのように渦巻く雪の中、頭に雪が積もるほど歩いてひどい目にあった。
仁賀保の目的だったキッチンさかなやさんにはちょうど開店直後くらいにたどり着いたが、客席はほぼいっぱいの繁盛ぶりだった。他の客はみな煮魚定食を頼んでいたようだけれど、こちらは調理に時間がかかっているようで自分の頼んだ刺身定食のほうがすんなりと出てきた。注文の時に刺身だけ大盛ができないかと聞いたら、「うちは量が多いよ」とのことだったので安心して普通盛りにしたけれど、魚食いの自分にはやっぱり物足りない量だった。
ホワイトマジックにやられ、すっかり体が冷えきっていてどうも体調を崩しそうな雰囲気を察知して、まともなベッドで眠るための宿を考えた結果、鶴岡のホテルステイイン山王に部屋を取ることにした。二〇一六年に即身仏ツアーをした際に初めて利用したホテルで、ほどほど安くて具合がよく、その後も秋田や山形の海沿いを旅行中くたびれてネカフェに行きたくないときなどに何度か利用していた。いつでもわりと空いていて、当日でも部屋を確保できたりするホテルだった。
鶴岡はとても好きな街で何度も散歩をしに来ている。国宝である羽黒山の五重塔と石段を歩きたくて来たのが最初で、その時に即身仏というものの存在を知った。内臓を抜いたりして死後に処理が必要なミイラとは大きく異なり、即身仏というのは生きながらにしてミイラのような状態に達するものだ。千日を超える厳しい修行ののち木食と呼ばれる体から脂分をなくすため木の実や草しか食べない苦行をし、内臓が腐らないよう漆を飲む行程へ経て、いよいよ真言宗の究極的な修行である土中入定を行う。木箱に入り土中に埋められ、地上とは空気穴だけが通じている状態でただひたすら読経しながら鉦を鳴らすのだという。鉦の鳴るのが途絶えてから千日の後、再び木箱が掘り返されることになる。苦しさから姿勢が崩れてしまっていたり、また湿気や温度により腐ってしまったりと即身仏になることができなかった例は多かったらしい。
国内に現存している即身仏は十数体ほどでその半数が山形県にあり、さらにその多くが鶴岡と酒田の庄内地方に集中しているため、庄内は即身仏銀座といってよい。
庄内地方に即身仏が集中している理由は、真言宗の湯殿山系の宗派が行う修行だったためだと、即身仏ツアーの時に鶴岡の注連寺のお姉さんから聞いた。この注連寺の山号は「湯殿山」といい、かつては湯殿山系の総本山だったこともある。神仏習合の時代は現在の湯殿山神社や出羽三山とも一体となり信仰を集めていたというが、明治時代の神仏分離以降は別物にされてしまい、それからは廃れてしまったのだという。
戦前までは即身仏になろうとする人もいたらしく、かつては里のほうまで土中入定を行っている時の鉦の音が聞こえていたそうだから、年寄りの中にはそのことを覚えている人もいる。また、現在では法律や倫理的な面から、当時のように即身仏になるための修行ができなくなったと聞いた。
そんな即身仏ツアーで得た知識をぺらぺらと職場の忘年会で話していたところ、社内で日本語研究をしている人から「いま即身仏になろうと、修行している人がいる」というおどろくべき情報を得た。二〇一七年末のことだ。にわかには信じられず、情報源はどこかと問い詰めると、山形の風俗嬢から聞いたとのことだったのでこれは百パーセント信用できる話だろう。昔とはちがって騒音も増え、当時のようには聞こえないかもしれないけれど、その鉦の音をいちど耳にしてみたいとおもった。
現在は独立した存在となっている湯殿山神社だけれど、東北をいろいろと見てまわっていて一番衝撃を受けたのがここだった。湯殿山神社の大鳥居から先は写真を取ることはできず、また「語るなかれ、聞くなかれ」と言い、目にしたものを話してもいけないし尋ねてもいけないというかなりきびしい決まりがある。悲しいかな、ちょっと調べるとすぐにいろいろな情報が出てきてしまうけれど、湯殿山神社のずっと秘匿されてきた事柄をネットなんかで知ってしまうのはアガサ・クリスティの『アクロイド殺し』や『オリエント急行殺人事件』のネタバレをするのに近い。旅をする人なら自分の目で見ないと一生後悔することになる。
ちなみに、松尾芭蕉も『奥の細道』のなかでこの湯殿山神社についての句を残している。
語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな
ネットで検索すると見つかるこの句に対する解説は、おそらく湯殿山神社に参拝したことがない人たちのもので、だいたいは「詳しくは語れずに残念だ」などというものだ。しかし実はこの句には、湯殿山神社を訪れた人間だけには別の異なったとらえ方もできるというからくりがあり、三百三十年を隔てて松尾芭蕉と二人だけの、誰にも言えない秘密を共有しているような気にもなってくる。実際に湯殿山神社に来てみてこの句の意味するところをはじめて理解し、やっぱり芭蕉兄さんにはかなわないなとおもった。
しかし、自分もこれ以上は語ることができない。
仁賀保から酒田と南下してきて、ようやく鶴岡のホテルにたどり着いた。まずは冷えた体を温めようとひとまず風呂に湯をため、ベッドに横になっているといつの間にか眠ってしまっていた。
ふと目を覚ますと、風呂場の音がなんだか近くて、ざーっと水の流れる音が聞こえている。ドアをあけると、オーバーフロー防止の穴が詰まっていたのか湯船の縁から湯が溢れていて、ユニットバスのトイレ脇にある排水溝から次々に流れていっている状態だった。
急いで靴下を脱ぎ裾をまくり上げて、こんこんとあふれてくる湯に足をつけ、蛇口をひねり風呂の栓を抜いた。湯はくるぶしのあたりまできており、部屋まであふれなくてよかったと、冷えた足をあたためながらほっとした。
さきほどあわててドアを開けたため、風圧で洗面台においてあった「清掃しました」というメッセージカードが飛ばされて、ユニットバスからあふれた湯に落ちているのが目に入った。紙なのでぷかぷか浮いていて、排水が起こす水流でゆるやかに回転している。カードを拾い上げたが寝起きでぼうっとしていたせいか腕まくりを忘れていて、フリースの袖が濡れてしまった。
二〇二〇年一月三〇日