中古CDに興味がない人といっしょにブックオフへいくと、障子久美『プライム』のジャケのように、二九〇円棚の「あ」から順番に棚をなめていく様子はとても奇妙に見えるものらしい。そもそもCDを漁る趣味は東京や大阪などの都会ではまだ一般的だけれど、地方都市には見むきもしない人が多い。だからこそ田舎のブックオフは棚が荒らされていないことがあり、長らく動きがないためかなんとなく空気がよどんでいる棚をながめていると、エレクトーン奏者渡辺知子の自主製作CDやボーイズソプラノが素敵なラディッシュの『少年記』が手に入ったりする。
しかし近頃では、このまま店舗をまわりCDを買っていくという行為にもそのうち限界がくるのではないかというような気がしてきていた。未訪問のブックオフは減る一方で、岡山でいうところの万歩書店のような、地域に根差したローカル古書屋は潰れてどんどん数が減っている。棚にあるものを買うだけではなく、店を構えてCDを売りに来てくれる人を待つ方法も併用していったほうが良いのではないかという考えを持ち始めていた。
二〇一九年は台風の当たり年だったから、記録的な大雨により、東京や埼玉のあちらこちらで斜面が崩落した。人のこない林道や古い峠道など、いたるところが壊滅的な被害を受けていて、またこれらはほとんど利用されていないため、復旧する気配もなさそうなところが多々あった。林業の人が入らないような山はすでに野生の獣たちのリージョンになっていたりして、里山が完全に野に返ってしまうその前に、見てまわっておくなら今のうちにと、秋ぐらいから積極的にいろんな峠をうろうろしていた。
いまはその面影もないけれど、埼玉の越生という街はかつて中世のころには非常に栄えていたらしく、山の裏側の吾野あたりの人は越生まで山を越え物々交換にいったのだろう、いまも様々な峠越えルートが奥武蔵には残っている。そのうちのひとつ、稜線上や痩せた岩場を歩く、西武秩父線の正丸駅から東武東上線の小川町方面へと抜ける古い峠道を歩いた際、旧正丸峠から虚空蔵峠に向かう途中に打ち捨てられた古びた小屋を見つけた。小屋は元々なにに使われていたのかはちょっと定かではなく、やや傾いていて多少、屋根が破れている箇所はあるものの、ちょっとした雨宿りには使えそうだった。小屋の前で岩に腰かけて休憩をしながら、風が葉をゆらす音しか聞こえない山中でいろいろと考えを巡らせていると、あるひとつの思いが浮かんできた。
サライネス『誰も寝てはならぬ』のヨリちゃんがもぐりの料理屋をやっていたように、かねてから自分もこっそりと、ガールズポップ中心のもぐりのCD屋をいつか始めたいとおもっていた。そしてどうせ店を持つならば、都会なんかよりも、競合相手が少ない田舎のほうがよかった。買取を重視した場合も、たとえその機会が少ないとしても田舎の方がめずらしいものが出てくる気がしていたし、また、山での怪異の話は山と渓谷社の本でいくつも読んできたから、人知の及ばない変わったCDや奇妙な音源がフィルードレコーディングでもって入手できたりするかもしれない。
風に吹かれて汗が乾いてきたころ、小屋をながめながら、ここでもぐりのブックオフを始めてみようとおもいたった。
日を改めてもう一度、早朝から西武線に乗って正丸駅でおりて、朝の清々しい峠道を登る。ザックにはブックオフになくてはならない、最初に棚に置くべきCDが入っていた。山に入るのにCDなんて邪魔でしかないけれど、いつも四リットルの水を背負って歩いていることからすればあってないようなものだった。集落を過ぎてお申講の祠を右手に見つつごつごつした岩道をしばらく登ると分岐がある。正丸峠の茶屋の裏手に続く急な階段はきつくてもう登りたくなかったから、今回は分岐を右手に進み、旧正丸峠寄りのルートを取る。
斜面を登りきるといったんは舗装路に出る。ここは走り屋には有名なあたりだけれど、朝は誰もいなくてとても静かだった。しばらく道なりに下っていっていると、どこからともなく視線を感じる。ふと茂みを見るとそこには野良犬がいた。飼われている様子もなく、食べ物をどうしているのか不思議だけれど、がんばって赤カブトを倒してほしい。
前回は旧正丸峠に向かうのに正丸峠から正丸山やカンゼ山のピークを超えるルートを歩いてとても苦労したけれど、沢のあたりから入り直接、旧正丸峠へ向かうルートはいくらかはましだった。しかし旧正丸峠から虚空蔵峠に向けてはきつい登りの階段なのに変わりはない。
このあたりに来る人たちは皆、伊豆ヶ岳の方へ行ってしまうし来たとしても正丸峠までで、虚空蔵峠へ向かう道は人気が無いルートだから、今回もやっぱり人と出遭うこともなく、時おりキツツキが木をたたく音が聴こえてくるだけだった。途中、大雨で崩落しかけている坂道を注意深く古いロープを伝って下りながら、かせきさいだぁのサンプリングネタが鈴木茂の「ウッド・ペッカー」だったことを風まじりに思い出していると、例の小屋にたどり着いた。
今にも倒れそうなところはあいかわらず、中に入ってみるとじめっとしていた。ザックを下ろして、水を飲み一息ついてから、中から大切に緩衝材につつんでおいたCDを取り出し、ちょうど小屋にあった台になりそうなところにそっと立てかけた。伊藤由奈『ハート』と白鳥英美子『アメイジング・グレース』、そしてこの二枚の間にシングライクトーキングの『エンカウンター』を挿しこむ。二九〇円棚の常連である二枚に加えて「え」のコーナーに間違えて入れられていることが多い『エンカウンター』の合わせて三枚。これが自分の考える、ブックオフの二九〇円棚を再現することができる最小の構成だった。こうしておけばここがブックオフの二九〇円棚だと、偶然とおりがかった人に気づいてもらえることに疑いはなかった。あとは横に空き缶を置いておくおけば、自分がその場にいなくてもCDを購入したい客は空き缶に代金を入れ、買い取りの場合は勝手に十円くらいを持っていってもらって、あとはそのままCDをならべておいてくれればいいだけだった。
ブックオフ虚空蔵峠店はこうして開店した。
二〇二〇年三月一日