ふさふさした毛の動物

予約しておいたホテルにチェックインして代金を支払うと、フロント係がキーを差し出しながら「それで、何時ぐらいにしますか」と、そっけなくたずねてきた。

食事のことかとおもい、

「素泊まりでおねがいしてるはずですよ」

そう答えると、フロントは眉をしかめた。

「そんなことはわかってます。そうじゃなくて……うちのサービスを知っていてここを選んだわけでしょう? あんまり困らせないで欲しいんですよね」

と、要領を得ない。

「いや、サービスっていわれても……」

こちらが言いかけたところで、後ろから別の宿泊客が入ってきた。フロントは声を低くして、

「ホームページに書いてあったでしょう? 安心してくださいよ、一見いちげんの客だからって悪いようにはしませんから。プライドってものがありますからね、こちらにも。それで何時にしますか? ほら、うしろにお客さんが待ってる」

よくわからないなりに「じゃあ八時で」と、伝えるとフロント係は小さくうなづいた。

部屋に入ってから、ホテルのホームページを確認してみる。しかし、隅々まで見たところでそれらしきものは『例のサービス☆あります☆』と書いてあるだけだし、建物が古いのも理由だろうけれどかなり安い宿泊料だったから、サービスとはいってもたいして期待できないようにおもえた。

一九時五〇分に一階のロビーに降りると、ちょうど客対応していたフロント係と目が合った。フロント係はメモ書きを裏返しで手渡してきて、そうして、早く行けとでもいわんばかりに目配せをしてきた。

ホテルの外に出て、前の道路を渡ってからメモを確認してみるとそれは地図で、道順が記してあり、ひとつの建物に丸印がつけてあった。

メモに従って小さな路地を抜けていくと、やがて歓楽街に出た。通りにはネオンのぎらぎらとした明かりが至る所に灯っていて、どこかのドアからは下品な笑い声が聞こえてくる。客引きを横目に歓楽街を歩いていって、紫色した外観のスナックを左に曲がると、地図上では丸が付けられている建物にたどり着いた。

細長く奥行きのあるその建物のドアを開けると、廊下が奥にずっと続いている。すぐ左手に受付らしきカウンターがあって、小男が濁った目でこちらをにらんでいた。

ホテルの案内で来たはずを伝えると、じろじろとこちらの全身を舐め回すように見てから、ふんと鼻を鳴らして、

「そこに入って待ってな」

と、廊下の先にある奥から三番目の扉を指差した。

茶色く変色した、元はあざやかな赤色だっただろうカーペットの敷かれた廊下を進んで指定された部屋に入ると、中は薄暗くて、ゆったりとしたソファがひとつあるだけだった。壁には何かの絵画が飾られているけれど、ヤニや埃で汚れていて大きなシミがあるから、出来損ないの高橋由一の『鮭』にしか見えなかった。

ソファに座って、部屋の隅にティッシュの箱がいくつも積み重ねられているのをぼんやり眺めていると、しばらくしてドアが開き、毛のふさふさとした動物が入ってきた。その動物は丸っこくて、背丈は大人の腰あたりまでしかない。二足で立っているらしいけれど、長い毛に覆われていて、足や手があるのかもわからなかった。

戸を閉めると、ふさふさとした動物は左右に揺れながら、きゅるきゅるという声のようなものを発した。毛で顔は見えないけれど、口はあるらしい。その奇妙な歌には節があるようにおもえて、どこか歓迎してくれているようにも感じた。

ひとしきり鳴き終わると、毛玉はとことこと歩いてきて自分の横に座った。ふさふさした毛からは強い柔軟剤のような香りがして、面食らって少し離れようとしたけれど、すぐに毛玉は間合いを詰めてくる。

毛の動物は時々、身を震わせていて、その度にさらさらと毛が擦れる音と、きつい芳香が鼻をついた。

毛の塊はソファの隣に座ってくるだけで、特に何か言葉を発したりする様子はない。

「どうすればいいの?」

たずねてみたけれど、頭らしきものをこちらに預けてくるばかりで返事はなかった。

暗い部屋は換気されていなくて、じめじめと湿っていて少し暑いぐらいなのに、多毛の動物がぴったりと横に寄り添っているせいで余計に息苦しい。毛玉が震える度にケミカルな臭いが漂ってきて、次第に頭がくらくらしてきた。

あらためて毛の塊を観察してみると、上の方はくしがよく通っていてさらさらとした毛並みをしている一方で、下半分は毛が絡み合っていたり、毛玉ができていたりしていることに気がついた。

何をしていいのかわからないし、このサービスとやらがどれぐらいの時間を要するものなのかもわからない。暇つぶしに気になった毛玉をほどいてやっていると、毛の長い動物は急に震えるのをやめて、どこか緊張した雰囲気になった。

身じろぎをせず、じっと固まったままのふさふさの動物を気にすることなく、一度始めた毛玉ほどきに熱中していると、どこかでぴぴぴぴとタイマーが鳴った。

すると、動物はすっと立ち上がって、入り口のドアの横にかけてあったタイマーを止めた。ソファの影に置いてあったコロコロで、座っていた場所についた毛を手慣れた様子で掃除すると、毛の動物は逃げ去るように、ドアを開けて出て行ってしまった。

ホテルのフロントがいうところのサービスはこれでよかったのだろうかと、少しソファに座ったまま待ってみたけれど、特に何も起こらない。仕方なく部屋から出ると、廊下の奥のドアがばっと開いて、ふさふさした動物がこちらを覗いてきた。部屋にやってきた個体とは違って毛並みがよくないし、どこかくたびれた雰囲気があるから、年寄りの動物なのかもしれない。

その後ろから、さっきの毛玉が様子を伺うように顔を出してきて、こちらと視線が合うとあわわてて引っ込んだ。年寄りの毛玉からはどこか敵意を感じる。非難や怒りで毛が震えているようにも見えた。

入口の小男は受付カウンターで、どこかに電話をかけている。

「いや、さすがに無茶してもらっちゃ困るよ。こっちにも商売があるんだからさ。いくら都合してもらってるからって、限度って物があるだろ」

頭を掻きむしりながらこちらを振り向いた小男は、苦々しい表情で舌打ちをして、早く出ていけとでもいうようにさっと手を振った。

さっきよりも人が増えたにぎやかな歓楽街を通ってホテルに戻ると、フロント係がなにやら怒っている。

「あんたね、いくらサービスだからってルールを守ってもらわないと。冗談じゃない。都会から来たからって馬鹿にしてるんだろ?」

「どういうことですか? 指定された場所に行っただけですよ」

「ごまかせると思ってるのか? サービス中に手を触れるのはご法度はっとだって、いい大人なのに知りませんでしたじゃ通用しませんよ。それだけじゃないだろ、手櫛てぐしをしたらしいじゃないか。そんな強要をする客は初めてだよ。グレーゾーンの商売だからってなめてるんだな、きっとそうだろう、なあ」

自分はなんて言ったらよいのかわからず、やっぱり安すぎる古いホテルはやめておけばよかったと後悔した。

二〇二二年六月三〇日