おなじみの青や黄、もしくは新しめのオレンジでもない、何故か白っぽい看板のそのブックオフに逆スパイとして潜入したのはかねてからの計画どおりだった。計算外だったのはやけに店長に気に入られてしまったことで、かつて議員秘書をしていたのにレイジアゲインストザマシーンを聴いて辞めてしまった経歴を持つという噂のある店長は、バックヤードで一緒になる度にあることないことをいろいろと吹き込んできた。
「前に右耳が聴こえなくなってね。プールに入ったあとに水が詰まるのがずっと続いているようなかんじで、耳珠のあたりをぐりぐり押しているとまた聞こえるようになるからしばらくはそれでなんとかしていたら、ある時に突然、反対の左耳も聞こえなくなった。両耳が聞こえなくなるとさすがにおそろしくなって、あわてて耳鼻科に駆けこんだら単に耳垢が詰まって鼓膜の前に栓をするようになってたみたいでね、なんか機械で耳垢を吸い取ってもらったよ。あの耳の中に管を入れて吸引される感覚はとても気持ちよかったから、用が無くても一度やってみてもらったほうがいいね。僕の耳垢は三十年ほどかけてちょっとずつ詰まっていったものだったから、いつの間にか小さな音が聞こえなくなっていたことに気づいてなくてね、耳鼻科の外へ出た時はびっくりした。ポケットの小銭の音、髪をかき上げた時の音、アスファルトと土で靴音が違うことにも気づいたし、まるで別世界のようだったよ」
そして勝手に有線放送を止めて店内にクラスターの『グロッセス・ヴァッサー』をかけながら、耳垢によって聴こえなくなる音とフレーズについてひとしきり語ったあと気になることを言った。
「そうそう、その時は池袋の耳鼻科に行ったんだけど耳の検査をするのに使ったCDがあってね、その音源がとてもよかった。ドナルド・フェイゲンのシャンハイ・コンフィデンシャルってあるでしょう? あれをもっとスムースジャズにしたような曲が流れてね。さすがにその時はそれどころじゃないし余裕がなかったから、CD自体の確認できてないけど」
一般には出回っていないようで数が少なく、店長も探してみたが、まったく手がかりがなかったらしい。実際にネットで調べてみてもそのCDに関する情報はでてこなかった。なんとかしてその音源を聴いてみたいとおもった。
二〇〇七年にオープンしたビルボードライブ東京、大阪、福岡のこけら落とし公演はすべてスティーリー・ダンだった。東京や大阪のチケットは気づいた時には遅くすでに売り切れてしまっていたけれど、なんとか福岡のものは取ることができた。九月の頭に休みを取って青春18きっぷで博多まで行き、いよいよあとは夜の公演を待つだけになったところで急に気が変わって、チケット代の一万数千円を使って鹿児島まで旅を延長することにした。鹿児島までは引き続き鈍行で行き、帰りはまだ部分的にしか開通していなかった九州新幹線に乗ってみることにして、その日は熊本まで南下して一泊、明くる日の始発から鹿児島に向かった。
初めて八代に行ったのは初夏の暑い日のことで、それ以降も何度か訪れているけれど、鹿児島本線が新八代駅を出発してすぐに左に大きくカーブをきり、左側の車窓に日本製紙八代工場の大きな煙突が見えてくると、いつもどうしようもない郷愁にかられてしまう。もともと八代に縁があったりしたわけではないけれど、帰省する時の新幹線が岡山駅の手前で旭川を越えるあたりから大きく左にカーブを切るのと似ているからかもしれない。
初夏神経という言葉の語感がとても好きで、空の青色が濃くなり汗ばむような季節になるといつも小石清のことを思い出す。『初夏神経』は多重露光やソラリゼーションを使った一九三三年としてはとても前衛的な写真集だけれど、小石清の写真としてはそれよりも内田百閒の阿呆列車に同行してとった一連の写真がとてもよく、今年も思い出したついでにちくま文庫の全集の写真を見返すことになった。特に、八代の写真はいつみても良い。しかし今はもう千丁の柳はないし、松浜軒も見に行ったけれど、小石清の写真の時ほど庭の手入れはされておらず、荒れてしまっていた。
帰省しては岡山県内のいろいろなところを歩きまわっていた時期に、岡山市内から九旙を経由しつつ西大寺を抜けて、大賀島寺へ立ち寄ったことがあった。大賀島寺の近くには宇喜多直家が生まれたといわれている砥石城址や宇喜多一族のお墓があったりして、展望台から千町平野を眺めながら休憩しつつ帰り道をナビウォークで調べていると、車道の脇から牛窓の方へ下っていく山道らしきものがあるのをみつけた。
地図で見ると細い線だったから、はたして道として残っているのかどうかが不安になり、様子見にその分岐のところまで行ってみると、ちょうど山道のほうからトレッキングの老人グループがぞろぞろと上がってくるところに出くわした。人が歩いてきたことに安心して入れ替わりにその道へ入っていくと、農地があってしばらくは車が入れるくらいで轍がある道だったのに、次第に傾斜がきつくなり、いったん下りはじめると景色が一変した。腰のあたりまで草が生い茂り、雨で削られた道にどこからか水が流れこんでいてちょっとした小川のようになっていて、空は見えなくなり森の中へ入っていくばかりで、予想はしていたけれど前方はますます暗く不安になる一方だった。蜂がいるのか耳障りな羽ばたきの音がずっとついてきていたが、威嚇されているわけでもなく、監視されているような不気味さがあった。
その時、ふと正気に戻った。先ほどすれ違った年寄りグループはここを通ってきていたはずなのに、不思議と踏み跡もないし、集団が通っていったような草の倒れ方もしておらず、長らく誰もこの道を通っていないような雰囲気で、これはさすがにおかしいということにようやく気がついた。あわててきつい傾斜を登り返して元の合流地点に戻ってくると、なぜかあたりはもう夜になっている。こういったやり口は狸の仕業に違いなく、あやうく化かされて大変な目にあうところだった。
気を取り直して今度は騙されないよう、車が通るような舗装された道を選んで帰ることにした。あたりは街灯のない田舎道で周囲には畑しかなく、ビニールハウスがいくつかあったけれど、中を見てもなんの野菜も植えられてはいなかった。ビニールハウスは照明が壊れているのか、自分がそばを通り掛かるタイミングでちょうどちかちかと点滅しはじめるのでまた狸のせいかともおもったが、光ったり消えたりするビニールハウスを見ていると、なんだか巨大な芋虫がうごめいているようだった。
日曜日の昼下がりに、ウィントン・マルサリスを万引きしようとした常習犯の男を捕まえて、警察に引き渡してから、大仕事を終えた気分になってようやく控室で一息ついていると、店長がやってきて「おつかれ」とペットボトルのお茶を渡してきた。そして脈絡なく次の話を始めた。
「八〇年代のCDの製造年がアルファベットで記載されているのはわかる?」
そして机にあったコピー用紙にすらすらと書いていく。
NIHONRECORDKYOUKAI
「日本レコード協会をアルファベットにしたものをCDが発売され始めた一九八四年から順番にあてていく。たとえば八四年のCDにはNの文字が当ててある、八五年はI、二回目のNはもうすでに使われているから飛ばして八八年にはRを使う。カメラのハッセルブラッドって、シリアル番号の頭二文字がVHPICTURESをそれぞれ数字に割り当てたもので製造年がわかるようになっているから、これを真似しようとした人がいたのかもしれないね。でもハッセルとは違って被る文字ばっかりだし、九五年には文字がなくなるわけだから」
店長はいつも飲んでいるブラックの缶コーヒーを開けた。
「わざわざ文字を使っていたことに、意味があると思わない? 九二年には西暦表記に移行したから被りを除くと実際に使われた文字はこれ」
NIHORECDK
「なにか思わない?」
「ええと、アナグラム?」
「そう、その通り、これを並び替えると……」
CHK NOR DIE
「CHK……、ソビエト連邦人民委員会議……」
「そう、『人民委員会議も死も望まない』これがメッセージだよ。CDの製造年表記の西暦への切り替えは九〇年あたりから急速に始まったみたいだけど、八八年から始まったバルト三国の独立、八九年末のベルリンの壁崩壊、そして冷戦の終結へと、たまたまタイミングがあっただけだろうかね、これって」
内線が入り、レジ係からクレーム客の対応を求められた店長はそのまま出て行ってしまった。後にはほとんど手を付けていない缶コーヒーだけが残された。
その日は朝から天気雨のおかしな天候で、昼下がりには激しい夕立があった。出張買取の依頼があり、コレクターが亡くなったのか、古いレコード類が大量に含まれているらしかったその依頼内容をみて直々に店長自らが出かけることになった。缶コーヒーを片手に青と黄色の買い取りトラックに乗りこんでいったのが店長を見た最後の姿で、そのまま失踪したっきり見つかることはなかった。買取トラックは目立つ車なのに目撃情報もなく、不思議なことだった。
それからは自分の身の回りにも、誰かが常にかぎまわっているようなおかしな気配がし始めた。郵便ポストがあけられていたり、スーパーで買い物をしているといつも何者かの視線を感じたりする。ある晴れた日に帰宅すると、部屋のドアの前に水たまりのようなものがあった。まるでびしょ濡れの誰かがそこに立っていたような跡をみつけて、気味悪くなって急いでそこからは引っ越してしまった。
長野県の坂城で大根おろしが嫌いになるようなひどい経験をして、失意のまま戸倉温泉に向かった。戸倉温泉は千曲川の東西にわかれていて、観世温泉などのある右岸は新戸倉温泉、反対側は旧戸倉温泉と呼ばれている。左岸の旧戸倉温泉には百年以上の歴史があるらしく、いつも長野を通りがかった時に寄るのは新の方ばかりだったからこれはいい機会かもしれないと、夕立に一降りされて濡れた商店街を抜けて川の向こう側まで歩いていくことにした。
千曲川に架かる大正橋はきれいに歩道が整備されていて、左手には大型旅館が立ち並ぶ旧戸倉温泉街を一望できた。気持ちの良い風が千曲川沿いに吹き抜けていって、河川敷のもこもこした木々を揺らしている。橋を渡りきり、しばらく歩いていくと排水溝が詰まっているのか、先ほど降った雨で歩道いっぱいに大きな水たまりができていたが、車通りも少なかったのでしばらくは車道を歩いて水たまりを回避していった。
共同浴場のかめ乃湯はとても良い湯で、ゆったり過ごしているといつの間にかすっかり日も暮れてしまった。外に出ると夕立を運んできた雨雲はどこかに消えていてきれいに澄んだ月が見えている。寒いけれど風呂上がりには気持ちがよく、立派な温泉旅館の並びや花街を湯冷ましがてら散歩していると、少し外れのほうで牛舎をみつけた。あたりには牛のにおいがたちこめていて、建物の明かりはついておらずその姿は見えないけれど、牛舎の中には大きな影の気配を感じる。ルルベル三世のような、大きな潤んだ眼に見つめられているような気がした。
温泉街をあとにして駅へ戻っていると、水たまりのある箇所にやってきた。夜の黒々とした水たまりにはいくつもの街灯と月の光がきらきらとクラゲのようにただよっている。湯上りで気分が良くなんだか興に乗ってきて、今度は迂回せずにざばざばと遠慮なく水たまりの中を歩いて水面をかき乱してやると、このあたりの街灯はLEDに換わっていたようで、ひとつの光を除いた他はすべて赤、青、緑に分離してしまった。
耳が聞こえにくいだの、嗅覚がおかしくて臭いがしないだのと偽って、池袋にある耳鼻科をしらみつぶしに受診しては件の検査CDがないかを探していった。そのうちに仮病を使うのはアンフェアではないかと考え始めて、耳掃除に綿棒ではなくHBの鉛筆を使い、わざと中耳炎になったりして調査を続けていった。
その日もいつものように高田馬場のミカドでグラディウスⅢをプレイし、キューブラッシュを越せたことによる満ち足りた心持ちで、池袋にある裏手が小さな公園の古びた耳鼻科を訪れた。耳の中を診察してもらうのに左耳を椅子の背につけて窓の方を向いた姿勢を取ると、窓際に四角い機械があることに気がついた。仰々しいヘッドフォンがカラーテープで補修されたコードで繋がっていて、機械の横にはCDケースが立てかけてある。裏手の公園から差し込む光と新緑をバックに、窓際のそのCDは輝いて見えた。診断はされたが途中からもう上の空で内容はおぼえていない。震えるばかりの興奮を抑えその日はいったん帰り、どうやってそのCDを聴くか、そしてあわよくばなんとかしてモノにするための作戦を考えなければならなかった。今日の治療では使われず、どういった症状の時にそのCDの出番があるのか、見当がつかなかった。
実際にものが存在していることは確認ができたが、盗みに入るわけにもいかない。そこで、その耳鼻科で働いているスタッフの人となんとかして知り合い、CDを焼いてもらおうと考えた。池袋近辺にある、耳鼻科で働いている人が住んでいそうなコンクリート打ちっぱなしのデザイナーズマンションに張りこんだり、おしゃれなバーなどに通ってみたが徒労に終わった。
池袋のミカド劇場にストリップを見に行き、四回目の途中で抜けて駅へ向かって歩いていると、むこうからどこかで見たことのある顔がやってきた。その女もこちらをまじまじと見ているが、視力が悪いのか、少し目を細める仕草をしているのを見て思い出した。それは大学時代の女友達だった。講義を受けながら隠れて初代ポケモンをやって、ゴーストを転送してゲンガーにしたりした仲で、卒業後はキャビンアテンダントをしていたと聞いていたけれど、ずいぶんと長いこと会っていなかった。
「かわってないね」
「それはお互い様でしょう」
歩道の脇に避けて近況報告をする。まだCAをやっているのかと訊ねると、
「高度の高いところにいすぎたせいか気圧で耳をやられて、もう今は辞めちゃった。それでお世話になった耳鼻科でスタッフをはじめてね、医療事務の資格も取るために勉強もしてるし。池袋のTっていう名前の病院なんだけど」
それはまさに先日、件のCDを見つけた耳鼻科だった。よくわからないものに固執しているのを見抜かれないよう、検査用CDについて聞きたいところをぐっと飲みこんで、ひさびさに会ったからコーヒーでも飲みながら話でもしないかと誘ったら、これから車で夜景を見に行くから一緒に来ないかという。羽田空港の近くに良いスポットがあるらしい。
「どうやって行くの? 遠いでしょ」
「運転してくれる人がいるから大丈夫」
「彼氏?」
「ちがう、最近は仲良くしてるけど」
ふたりで待ち合わせ場所の栄新パーキングの前に行くと、まもなくして一台の白い、古い車が止まった。運転手の男がおりてくる。
「あ、彼は喋れない人だけど気にしなくていいから」
「そうなの? はじめまして」
その男はにこにこしながら手を差し出してきた。細くて長い指で、握手した手は冷たかった。
「明日も仕事だしさっさといこう」
そういって、女友達は慣れた感じで助手席に乗り込んだ。
普段は歩きか電車でしか移動しないから、道路の真ん中を堂々と車で走るのはいつも不思議な気持ちになる。道は空いていて運転手の男が祖父から譲ってもらったというトヨタのプログレは滑るように快適で、曇り空がビルや工場の赤いライトを照り返し、街を赤黒くどんよりと染めていた。「普段からふたりは話さないの?」
「わたし手話できないし、それに彼は聞き上手だから。会ってないときにはスマホでやり取りしてるから、別にね」
運転手の男はニコニコしながら話を聞いている。ヘビースモーカーらしくて、ものすごい早さで紙煙草が消えていく。自分も女友達も昔から煙は気にしない人間だったけれど、こんなにぱかぱかと吸うのは今どきめずらしいなとおもった。
一方の女友達は、車に乗ってからは男が買ってきていた缶ビールを調子よく開けていっていた。そこそこの酒飲みだったような記憶はあるけれど、それよりも酒量は増えたようでゴミ袋代わりのビニール袋はあっという間にスーパードライの空き缶でいっぱいになった。
「そういえば発泡酒、絶対に飲まなかったもんね、たしか」
「やだ貧乏くさい、死ねばいい」そう言って、最後のビールを飲み干した。
途中のコンビニに寄って追加のビールを買い込んだ。コーヒーを片手に後部座席に乗ると、あまり酔った様子でもない女友達が後ろを振り向いて、
「いつもはわたしが喋ってばっかりになるから、今日はなんか話してよ」
と、新しい缶をあけた。トラックばかりの駐車場を抜け出して再び車は走り出した。
実家の近くには大きな塩田跡地があって、小学生の頃そこで今村昌平の映画『黒い雨』のロケがあった。それは原爆投下後のシーンを撮るためのもので、炎に包まれた街を再現したかなり大規模なものだったから、大人になってから両親にその話をした際に、まったく知らないという反応しか返ってこなかったことに驚いてしまった。地元の祭りがあった時に知り合いの何人かにも同じことを聞いてみたけれど、やっぱり誰も知らないという。しかもネットで調べても『黒い雨』のロケに関しては吉永町での話しか出てこなかった。小学校の授業中、塩田跡地の中に建てられた広島の古い街並みを再現したセットに一斉に火をつけて、どす黒い煙が立ち上っているのを見ていたのはなんだったんだろうかといまだに腑に落ちない。
「狸にだまされてたんじゃない?」
女友達がいった。
「そんな大規模なことをするかな、昼間から。狸に騙されたことはあるけど、ちょっとやり口が違うような気もするし」
信号で止まった時に、運転手の男はこちらを向いて手を動かそうとしてやめた。手話をしても通じないことを思い出したのだろう、何かを言いたそうな顔をしている。
「あ、そうそう、彼は民話とか人類学とか詳しいから狸について言いたいことがあるのかも」
男がうんうんと頷いた。
「まあまあ、また今度聞いておくから。あ、それか二人あとで連絡先交換しといてよ」
工場や倉庫が多くなると、後部のコンテナがついていない、頭だけのトラックをよく見かけるようになる。近くの卸売市場は夜も動いているからか、追い抜いたバスはほぼ満席だった。
「それで、それだけ? もう話はないの?」
自分は後部座席から身を乗り出して話を続けた。
「楽には器楽という意味もあるのに、深く考えずに音楽のことを『音を楽しむ』とか言うやつがいるでしょう? それを許せない人がいるんだけど、おなじように、フォトグラフという単語を『写真』と日本語訳してしまった誰かのせいで、写真が『真実を写』しているだなんて勘違いする人ばかりだね。フォトは『光の』、グラフには『描く』という意味しかないのにね。いざ写真をやってみると、人間の目から入ってくる情報がどれだけ補正されてるのかがよくわかるようになった。高層ビルを見上げても、脳内の補正が常に働いているから肉眼だとまっすぐに見えるけど、カメラのレンズだと途端にパースが付いてしまう。補正されることを知ってからは、たとえ肉眼で見ていても、以前ほどはまっすぐ補正されなくなったような気がするけど、他の写真やってる人はどうなんだろうね。あと、脳内補正の具合は姿勢によっても変わるから、立った状態だと高いものはより高く見えるけれど、地面に横たわって見てみるとそれほど大きさを感じなくなる。天橋立の股のぞきは知ってるでしょ? あれも体の傾斜による補正の効果で、景色がなんだか遠くに見えるようになってる。そういえば、昔の船乗りの言い伝えでは、股から覗くとその船が幽霊船かどうかを見分けることができると言われていたらしいよ。いまでは迷信に近いような気がするけれど、自分がこれから乗る船が沈まないかどうか、股のぞきで判断していたこともあったようだから、占いに近いところもあったみたい」
工場をすり抜けて海に近づくと、着陸態勢に入った飛行機が前方の道路を大きく横切っていく。もともと飛行機が好きだったのか、CAだったころを懐かしんでいるのか、女友達はビールを飲みながら上機嫌だった。車が駐車場のゲートをくぐると、公園の木々の向こう側からは航空機のエンジン音が聴こえてくる。女友達は酒で少し焼けた声で突然、歌いはじめた。
午後十時ちょうどの
最終便を待つ
「え、ちょっと待って」
と、僕は驚いて歌をさえぎってしまった。児島未散のパイオニアLDC時代、よりにもよってなぜその曲を知っているのだろうかとびっくりしていたら、理由を聞く間もなく女友達はドアを開けて外へ出て行ってしまった。
平日の夜の城南島海浜公園は誰もいなくて静かだった。公園の南側の端はいつの台風の影響だかはわからないけれど、ウッドデッキが崩れたままになっている。柵がひん曲がったり無くなったりしている箇所があって、その先はすぐに暗い海だった。地面はがたがたしているのに暗くて足元が見えなくて、うっかり水たまりに足を突っ込んでしまい、靴の中まで濡れてしまった。
北の方角からは大きな音とともに飛行機がやってきて次々に着陸していく。頭の上を通過する時よりも、滑走路に着陸した後により大きなエンジン音が聞こえてくるのが不思議だった。それにしても飛行機を裏側から見るのは初めてだったけれど、底は平べったく見えるし、両翼の先には視認性はいいけれど少し安っぽい緑と赤のLEDがついていて、なんだかおもちゃのように見えた。
「幽霊船ってのは聞くけど、幽霊飛行機がないのはなんでだろう。旅客機にないだけかな」
女友達は海に背を向けロングスカートを手繰って、股の間から逆さに覗きはじめた。運転手の男は少し距離を置いて煙草を吸いながらそれを眺めている。僕も同じように股のぞきをしてみると、羽田空港ターミナルの灯りが海に反射して、色とりどりの光の束になった。天の川をかき混ぜてマーブル模様にしたような、きらびやかな海にむかって、着陸しているはずの飛行機は滑るように、星空のエアポートへと吸い込まれていく。立って見ていた時よりも空港が小さく、遠くにあるようにおもえて、これは錯視だろうと考えた。
女友達とふたりして真っ暗な海にせり出した場所で、股の間から覗いたりまた元の立ち姿勢に戻ってみたりと慌ただしく、幽霊飛行機を探しているのか錯視を確かめているのか分からない様をみて、男はとうとう堪えきれずに吹き出した。笑い声はなく空気がすうすうと通過していくような音だけだったけれど、笑うと口の中の真っ白い歯が見えた。煙草をあれだけ吸っているのに歯はずいぶんきれいなんだなと感心していると、不思議とエンジン音のしない飛行機がやってきて、丸みを帯びた腹を見せながら頭の上を静かに通り過ぎていった。
二〇二〇年一〇月一日